忍城跡

和田竜の歴史小説を映画化した映画『のぼうの城』(主演:野村萬斎、監督:犬童一心・樋口真嗣)で一躍有名になった石田三成と、忍城代・成田長親(なりたながちか)の忍城攻防戦。籠城を決め込む忍城に対し、三成は水攻めを試みるも・・・という物語です。舞台となった忍城は忍城址公園として整備されています。「続日本100名城」にも選定。

石田三成の水攻めにも耐えた「のぼうの城」

熊谷上之荘(現・熊谷市上之)を本拠とする成田氏(成田助隆が祖)は、上城(成田氏館/熊谷市上之545-5)を居館にしていましたが、成田親泰(なりたあきやす)が文明年間(1469年~1487年)に忍一族を滅ぼし、忍城に本拠を移しました。

広大な扇状地に広がる沼地に残る島や自然堤防を利用して忍城を築城、1590(天正18)年の石田三成の水攻め(豊臣秀吉の関東平定の一環)まで4代にわたって成田氏の居城となりました。

石田三成は、延長28kmにもおよぶ堤(石田堤として行田市堤根地区などに一部が現存)を築き、利根川と荒川の水を引水するという作戦を立てましたが、忍城は成田長親守る3000人が籠城死守。

周囲より高い位置にあるため浮城のように沈まなかったのです。
この攻防がテーマにした『のぼうの城』は映画化され話題に。

小田原城開城後に忍城も開城となり、徳川家康の関東入封とともに家康の四男・松平忠吉が10万石で忍城に入城。さらに1639(寛永16)年、老中・阿部忠秋が入城して城下町の整備を行ない、1702(元禄15)年に御三階櫓が完成。

阿部氏が白河(現・福島県)に移ると桑名から松平氏が入り明治維新を迎えています。

現在の忍城御三階櫓は、往時のものとは異なる観光天守

本丸跡に行田市郷土博物館・忍城御三階櫓が建つほか、東京電力変電所南側と東照宮西側には土塁の一部も残されています。
忍城御三階櫓は、行田市郷土博物館として昭和63年に再建されたものですが、実物より大きく外観も異なっており、分類としては観光天守的な模擬櫓になります。
忍城址公園にある諏訪神社は成田氏勧請の忍城の総鎮守。

忍城址公園の鐘楼につるされた鐘は、平成4年に鋳造されたもの。
オリジナルの鐘は、1717(享保2)年、桑名藩主・松平忠雅の命によって鋳造され、1823(文政6)年、松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって、忍城へ移されたもの。
行田市郷土博物館に展示されています。
藩校進修館の門が、郷土博物館の南側に移築現存しています。

また、水城公園は、忍城の外堀跡を整備した公園。
「浮き城」と呼ばれた水攻めのイメージをかすかに伝えてくれています。

平成4年に鋳造された鐘のかかる鐘楼

藩校進修館の門

行田商工祭・忍城時代祭り
毎年11月の第2日曜に、『行田商工祭・忍城時代祭り』が行なわれ、「歴代忍城主 武者行列」、地元埼玉のグルメが集結する「忍城食の陣」、忍城の堀で火縄銃演武などが行なわれています。


 

忍城跡 DATA

名称 忍城跡/おしじょうせき
所在地 埼玉県行田市本丸
関連HP 行田市ホームページ
行田市観光協会ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道行田市駅から徒歩15分。または、JR吹上駅から朝日バス前谷経由行田車庫行きで忍城下車すぐ
ドライブで 東北自動車道羽生ICから約14.5km。または、加須ICから約17.5km
駐車場 第1駐車場(30台/無料)・第2駐車場(20台/無料)
問い合わせ 行田市観光協会TEL:048-556-1111/FAX:048-553-5063
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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