玄忠寺

1508(永正5)年、鳥取城下湯所に草創と伝わる浄土宗の寺で、火事などで度々転地し、1660(万治3)年に現在地に移転。鍵屋の辻の決闘(伊賀上野)で知られる剣豪・荒木又右衛門の菩提寺となっています。鍵屋の辻の決闘の主人公・渡辺数馬の姉婿が郡山藩剣術指南役・荒木又右衛門です。

剣豪・荒木又右衛門の菩提寺

荒木又右衛門の墓所

渡辺数馬は池田家の臣下でしたが、池田家が岡山藩から鳥取藩への転封の際に、主君・池田忠雄の無念を晴らすためにあえて脱藩。本懐を遂げた後には荒木又右衛門ともども旧主君である鳥取藩・池田家の預かりになっていました。
境内には荒木又右衛門所有の太刀や鎖帷子(くさりかたびら)を保存する荒木又右衛門遺品館もあります。
玄忠寺は、1508(永正5)年に、鳥取城下の湯所町高浜(現在の鳥取北中学校付近)に草庵を構えたのが始まりという浄土宗の寺。城下町の整備で矢野、中の島(現在の玄好町公園)へと移転し、1660(万治3)年の火災で現在地(新品治町)に移りました。荒木又右衛門の件は、中の島時代のこと。

現存する本堂、山門、鐘楼は1805(文化2)年の再建。庫裡には鳥取県倉吉市の写真家、故・高木啓太郎氏(雅号は高木百拙)の描いた44枚の羅漢の襖絵が並んでいます。

「鍵屋の辻の決闘」と荒木又右衛門
荒木又右衛門は、服部平左衛門の次男として伊賀服部郷荒木村(現・三重県伊賀市)で誕生。父・平左衛門は、藤堂高虎に仕えた後、浪人後、備前岡山藩の池田忠雄に召し抱えられています。荒木又右衛門と渡辺数馬は義兄弟の関係。
寛永11年11月7日(1634年)、荒木又右衛門と渡辺数馬は伊賀上野鍵屋の辻で河合又五郎を討ち、仇討ちの本懐を遂げます(鍵屋の辻の決闘)。
1638(寛永15)年8月13日に厳重な警護の下に鳥取入りしていますが、8月28日に急死していることから毒殺説も囁かれているのです。ただし実際に又右衛門が死んだのは、1643(寛永20)年で、河合党による仕返しを恐れて死亡説を流したとする説もあり定かでありません。

歌川国芳『荒木又右衛門』

 

玄忠寺 DATA

名称 玄忠寺/げんちゅうじ
所在地 鳥取県鳥取市新品治町176
公式HP 玄忠寺公式ホームページ
電車・バスで JR鳥取駅から徒歩20分
ドライブで 鳥取自動車道鳥取ICから15分
駐車場 20台/無料
問い合わせ TEL:0857-22-5294/FAX:0857-22-1059
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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