水城公園

昭和39年に忍城(おしじょう/行田市)の外堀と忍沼一帯を利用して開園した10.3haの都市公園が水城公園(すいじょうこうえん)。中国江南水郷式造園の手法を取り入れた水郷公園です。もともと忍城一帯は、映画『のぼうの城』にも登場する荒川と忍川に囲まれた低湿地帯。水城公園は、「水城」の名の通り、忍城の外堀でもあった場所です。

忍城の外堀の沼を再生した都市公園

日本の都市公園制度は、明治6年1月15日の太政官布達に端を発していますが、現在の水城公園は、明治4年の忍城廃城を受け、明治8年に開園した成田公園が前身。
歴史的には、明治7年12月12日の浦和公園偕楽園(現・さいたま市浦和区の調公園・つきのみやこうえん=神仏分離で別当の月山寺は廃寺)に次ぐ埼玉県で2番目に開園した近代的な都市公園です(3番目は、現・さいたま市の与野公園で明治10年)。

現在の水城公園は、芝生の美しい市民広場、忍城の外堀跡を再生し、浮き釣り専用の釣り場として開放されているしのぶ池、ホテイアオイが群生するあおいの池などがあります。
ホテイアオイの見頃は例年8月下旬~9月中旬。

戦国時代、忍城を築いた成田親泰(なりたちかやす/成田長親は孫)は星川の水を忍沼(忍城の外堀)へ導水。
取水口(行田市総合公園の南)には、「忍城大樋跡の碑」が立っています。

大樋を閉じると沼は干上がる仕組みで、その導水ルートをカモフラージュするため、奈良から春日神社の分霊(春日神社は藤原家の氏神で、成田氏は藤原鎌足を祖とする)を勧請し氏神とし鎮守の森を築いたのです。

ホテイアオイが群生するあおいの池
田山花袋『田舎教師』と行田
水城公園東側の一角には、田山花袋(たやまかたい)の小説『田舎教師』の主人公・小林清三のモデルとして実在した小林秀三(こばやしひでぞう)を記念した「田舎教師の碑」(昭和36年建立)もあり、「四里の道は長かった・・・」が刻まれています。
『田舎教師』は「四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった」で書き出しで始まり、メインの舞台は隣の羽生市ですが、モデルとなった小林秀三は行田の実家から熊中(現・熊谷高校)に通っていました。
この冒頭の描写は、行田から羽生へと向かうところなのです。
『田舎教師』は、実在の人物小林秀三が書き残した日記をもとに田山花袋が克明な取材を行って書き上げた小説だったのです。
水城公園
名称 水城公園/すいじょうこうえん
所在地 埼玉県行田市水城公園1249
関連HP 行田市ホームページ
行田市観光協会ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道行田市駅から徒歩15分
ドライブで 東北自動車道羽生ICから約14km、関越自動車道嵐山小川ICから約20km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 行田市観光協会 TEL:048-556-1111/FAX:048-553-5063
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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