埼玉県東松山市、松山台地の南縁、野本小学校の南にある巨大な前方後円墳が野本将軍塚古墳。墳丘長は115mあり、埼玉県では、さきたま古墳群(行田市)の二子山古墳(132m)、稲荷山古墳(120m)に次ぐ巨大な古墳となっています。しかも古墳時代前期では埼玉県(北武蔵)最大の古墳です。
埼玉県では3番目の巨大古墳
一見すると木の茂った森のようで、昭和35年に古墳として埼玉県の史跡に指定されていますが、平成29年の東松山市教育委員会と早稲田大などの合同調査で4世紀後半(古墳時代前期)の古墳であることが判明。
調査では、地中レーダー探査、ドローンを使った空からの調査など、非破壊調査が行なわれ、墳丘長は115m、高さは後円部が13m、前方部8mということが明らかとなり、築造当時には120mを超えていた可能性も残されています。
調査の結果、築造当時には前方部2段、後円部3段の立体構造を持っていたこと、後円部に竪穴式の埋葬施設が遺存している可能性が高いことが判明。
定型的な周溝が存在しない、前方部が細長いことなどから古墳時代前期の前方後円墳の特徴であることが推測でき、古墳時代前期では埼玉県(北武蔵)最大の古墳ということがわかったのです。
独立丘陵などを利用した形跡はなく、墳丘土はすべて盛土のため、かなりの権力を有した首長の墓であることが明白に。
将軍塚古墳という名は、後円部墳頂に藤原利仁を祀った利仁神社が鎮座するのが名の由来。
正式名は将軍塚古墳ですが、各地に同名の古墳があるため、野本将軍塚古墳と通称されています。
古墳の南1.3kmに位置する反町遺跡(そりまちいせき/東松山市高坂)は、古墳時代前期の埼玉県最大の集落遺跡で、水晶玉生産工房も見つかっています。
工房では水晶と碧玉(へきぎょく)を加工し、玉を製造していましたが、装身具、副葬品、祭祀具として使われるものであることから、野本将軍塚古墳との関係性も見出すことができます。
野本将軍塚古墳 | |
名称 | 野本将軍塚古墳/のもとしょうぐんづかこふん |
所在地 | 埼玉県東松山市下野本612・613(利仁神社) |
関連HP | 東松山市公式ホームページ |
電車・バスで | 東武東松山駅から徒歩30分 |
ドライブで | 関越自動車道東松山ICから約3km |
問い合わせ | 東松山市生涯学習部生涯学習課埋蔵文化財センター TEL:0493-27-0333/FAX:0493-27-0334 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag