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三芳野神社

三芳野神社

埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する古社が、三芳野神社(みよしのじんじゃ)。本丸御殿とともに、藩政時代から変わらない位置関係で、川越城の本丸内にあった、川越藩、そして3代将軍・徳川家光ゆかりの神社です。また童謡『通りゃんせ』発祥の地ともいわれています。

本殿は、江戸城二の丸東照宮の本殿を移築とも

大同年間に大宮氷川神社を勧請して創建したと伝える古社で、中世に天神信仰を背景に、京の北野天満宮から分霊を勧請して三芳野天神(天満宮)になっています。
太田道真・太田道灌父子が古河公方への防衛拠点として川越城(河越城)を築城する際に、三芳野天神を天神曲輪に配し(広福寺が別当)、三芳野天神と仙波日枝神社を城内鎮守に。
これは、太田道灌が江戸城を築城する際、平河天満宮と山王日枝神社を鬼門除けに配したののモデルともいわれています(平河天満宮は、三芳野天神から、山王日枝神社には仙波日枝神社の分霊を勧請しています)。

川越が将軍家鷹狩りの地だったこともあり、徳川幕府の庇護を受け、3代将軍・徳川家光もしばしば参詣。
寛永元年(1624年)、川越藩主・酒井忠利(さかいただとし)の子、酒井忠勝(さかいただかつ)が3代将軍・徳川家光の命を受けて川越城の本丸に社殿を造営しています。
翌寛永2年(1625年)に遷宮式が斎行されていますが、導師を務めたのは、寛永元年(1624年)に寛永寺を創建した天海大僧正です(当時は神仏習合で、神社も寺の管理下でした)。
天海僧正は川越・喜多院(2代将軍・徳川秀忠は喜多院を関東天台総本山に定めています)の第27世住職も務めていましたから、喜多院との関係もうかがえます。

堀を隔てた地に喜多院の末、高松院広福寺を配して別当(神社を管理する寺)にしていました。

もともとは一般庶民に信仰された社だったため、明暦2年(1656年)、川越城の拡張に際し、江戸城二の丸にあった東照宮が移築され、その幣殿と拝殿が三芳野天神の外宮(天神外宮)として、一般の参拝を許しています(そのため『通りゃんせ』が生まれたのだと伝えられています)。
明暦2年(1656年)以前には、本宮まで入れたという可能性もありますが、本丸内ということで可能性は低いと思われます。

明暦年間以後も寛文11年(1671年)〜弘化4年(1847年)の大修復に至るまで14回の修理が行なわれ、まさに幕府直轄の社だったことがわかります。

明治初年の廃仏毀釈、神仏分離で、幕府の後ろ盾を失い、高松院広福寺は廃寺となり、三芳野天神は、城内にあったそれまではやはり神仏習合だった八幡宮を合祀し、三芳野神社と改称。
三芳野天神の外宮(天神外宮)の社殿は、川越氷川神社の境内社、八坂神社の社殿となっています。

現存する社殿は、明暦2年(1656年)の大改修の際のもので、本殿、幣殿、拝殿からなる権現造り( 神社本殿で、寺院建築の様式を採り入れたもの、本殿と拝殿を幣殿で連結)。
江戸城二の丸東照宮の本殿を移築したともいわれていますが(幣殿と拝殿は三芳野天神の外宮に)、定かでありません。

左奥が本殿
三芳野神社
名称 三芳野神社/みよしのじんじゃ
所在地 埼玉県川越市郭町2-25-11
関連HP 川越市公式ホームページ
電車・バスで 東武東上線、JR川越線川越駅、または西武新宿線本川越駅から東武バスウエスト(蔵のまち経由)で札の辻下車、、徒歩8分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約7km
駐車場 初雁公園駐車場を利用
問い合わせ 川越駅観光案内所 TEL:049-222-5556
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

わらべ唄発祥の所碑

埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する三芳野神社境内(末社大黒社近く)にあるのが、わらべ唄発祥の所碑。実は三芳野神社(藩政時代は三芳野天神)の参道が、童謡『通りゃんせ』に歌われる「天神さまの細道」といわれることから、わらべ唄発祥の所

川越城

扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は破却されましたが本丸

川越城本丸御殿

関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部として大玄関・大広間

川越城・大手門跡

埼玉県川越市にある川越藩の藩庁だった城が、川越城。その大手口(玄関口)となる大手門の遺構は残されていませんが、川越市役所前に太田道灌の像とともに、川越城大手門跡の石碑が立っています。大手門は城の南に、南大手門(南門)もあったため、西大手門と

 

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