唱歌『案山子』発祥の地

唱歌『案山子』発祥の地

埼玉県さいたま市緑区、市街化が進む見沼田んぼの一画、氷川女體神社周辺が、唱歌『案山子』発祥の地とされ、氷川女體神社南側にある見沼氷川公園の入口近くに、案山子の記念碑が建てられています。これは、作詞をした武笠三(むかささん)が氷川女體神社神官の長男だったことに由来。

唱歌『案山子』は見沼田んぼで生まれた!?

案山子の記念碑と呼ばれる案山子のモニュメントは、彫刻家・島田忠恵(しまだただえ)の制作、金田一春彦揮毫。

唱歌『案山子』を作詞したのは、氷川女體神社神官・武笠幸美の長男・武笠三(むかささん)。
当地にある氷川女體神社の神官を代々勤めていた武笠家の長男として明治4年、三室村宮本(現・さいたま市緑区宮本)に生誕
東京帝国大学卒業後、旧制四高(現・金沢大学)、埼玉県第一中学(現・浦和高)、旧制七高で教鞭をとり、明治41年から17年間にわたり国定教科書の編纂に携わっています。
その国定教科書編纂官時代に作詞に関わったというのが明治44年、『尋常小学唱歌』第二学年用に掲載された『案山子』です。
ただし、唱歌『案山子』を武笠三がどこまで主導的に作詞を手掛けたのかは定かでなく、作詞作曲不詳ともいわれていますが、国定教科書編纂官だったがゆえに、名を伏せたとする考え方もあります。

平成5年、浦和ゴールデンクラブ、浦和各地区ロータリークラブなどで構成された「唱歌『案山子』発祥の記念碑をつくる会」では、「かって1200ヘクタールの沼であった見沼は江戸中期に干拓され、 稲穂がたわわに稔る田園となった。作詞者の感性を育んだ光景である」という理由などから、作詞者を武笠三と断定しています。

唱歌『案山子』

山田の中の 一本足の案山子
天気のよいのに 蓑笠(みのかさ)着けて
朝から晩まで ただ立ちどおし
歩けないのか 山田の案山子

山田の中の 一本足の案山子
弓矢で威して 力んで居(お)れど
山では烏(からす)が かあかと笑う
耳が無いのか 山田の案山子

唱歌『案山子』発祥の地
名称 唱歌『案山子』発祥の地/しょうか『かかし』はっしょうのち
所在地 埼玉県さいたま市緑区見沼500
関連HP さいたま市緑区公園公式ホームページ
電車・バスで JR浦和駅から国際興業バスさいたま東営業所行きで朝日坂上下車、徒歩5分
ドライブで 東北自動車道浦和ICから約4km
駐車場 見沼氷川公園駐車場(20台/無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
見沼氷川公園

見沼氷川公園

埼玉県さいたま市緑区、市街化が進む見沼田んぼの一画、氷川女體神社南側にある自然公園が、見沼氷川公園。公園の西を見沼用水西縁が流れ、東側には芝川があります。2.34haの小さな公園ですが、ラベンダーやミントなどのハーブが植栽されるハーブ園、修

 

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