尼信会館・尼信記念館

尼信会館・尼信記念館

兵庫県尼崎市東桜木町、尼崎市街の中心地に建つのが尼信会館・尼信記念館。尼崎信用金庫創業80周年の記念事業の一環で開館した博物館が尼信会館で、尼崎市の文化財に指定される資料、世界170ヵ国の金貨、銀貨を常設展示しています。尼信記念館は創業時の本店(レンガ建築)を移築保存。

城下町・尼崎の歴史を俯瞰的に紹介

平成13年6月1日に開館した尼崎信用金庫の企業博物館が、尼信会館。
尼信会館・尼信記念館の東側にある尼崎城の城下町である尼崎の歴史資料を展示していますが、重要文化財「太刀銘守家」、尼崎城内の復元模型(1/300)、『信使来聘自兵庫至大坂引船図』、『尼崎海辺砲台水深里程絵図』、藩札の展示などもあり、必見の価値があります。
尼崎城は、西への守りとして、元和3年(1617年)、2代将軍・徳川秀忠の命で戸田氏鉄(とだうじかね)が築城。
復元模型から4層4階の天守がそびえ、本丸御殿や大書院を構える壮大な姿がよくわかります。

『信使来聘自兵庫至大坂引船図』は兵庫津(現・神戸港)を発って大坂(現・大阪港)へ至る間で尼崎藩松平家が接待と送迎の役割を担当したときの尼崎藩の船図を描いたもの。
『尼崎海辺砲台水深里程絵図』は、幕末に尼崎藩が海防(異国船監視)のために大高州新田、初島新田、未新田、丸島新田、今福村に築いた沿岸砲台(台場)を記した絵図です。

尼信記念館は、大正10年6月6日、尼崎信用組合(現・尼崎信用金庫)が創立した際の本店事務所で、初代組合長・小森純一所有の建物(明治時代のレンが建築)で、小森家の建物を借り受けて本店として創業しています(戦後に信金が買い取り)。
まさに「あましん創業のシンボル」で、内部は6月の創業記念日前後など、期間限定で公開されています。

尼信は、第一次世界大戦後の不況を背景に設立

大正9年、日本国内にも第一次世界大戦後の大戦景気の反動で、3月15日の東京・大阪両株式取引所での株価暴落をきっかけに戦後恐慌が勃発、5月には横浜の生糸輸出商茂木商店と第七十四銀行が破綻しています。
「山高ければ谷深し」という状況で、中小商工業者は不況に苦しむ状況に陥ったため、大正10年、低利で融資することを目的に設立されのが、尼崎信用組合(現・尼崎信用金庫)です。
尼崎は戦前、芝居小屋、映画館も建ち並んだ「本町通商店街」(戦災などで撤去され現存していません)を中心に阪神屈指の賑わいをみせ、活況を呈していました。

尼信会館・尼信記念館
名称 尼信会館・尼信記念館/あましんかいかん・あましんきねんかん
所在地 兵庫県尼崎市東桜木町3
関連HP 尼崎信用金庫公式ホームページ
電車・バスで 阪神電車尼崎駅から徒歩5分
ドライブで 阪神高速3号神戸線尼崎東ICから約1.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 尼信会館・尼信記念館 TEL:06-6413-1121/FAX:06-6413-1221
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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