故郷の鹿児島では「西郷どん」(せごどん)と親しみを込めて呼ばれる西郷隆盛。平成30年のNHK大河ドラマ「西郷どん」では「愛に溢れたリーダー」として描かれています。その西郷隆盛ですが、銅像は国内に3ヶ所、歴史的には上野恩賜公園、鹿児島市、霧島市の順の建立です。
西南戦争12年後に立案の上野の西郷さんは狩猟姿
●上野恩賜公園
東京都台東区上野公園5-20
「上野の西郷さん」と呼ばれる上野恩賜公園の西郷像(明治31年除幕)は、明治22年の大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西南戦争時(明治10年)に朝廷(明治政府)に敵対した「逆徒」の汚名が解かれたことがきっかけ。
宮内省より500円を下賜され、さらに全国2万5千人余の有志の寄付金で建立されているので、没後まだ12年ということもあり、全国的にも西郷ファン、西郷支持者が多かったとも推測できます。
計画では「陸軍大将軍服着用の騎馬銅像」でしたが、反政府的機運を醸成しかねないということで、愛犬を連れての兎狩りの姿になったもの。
軍服姿はまだ無理という政治的な状況を反映していたのですが、遺族となった夫人からは、西郷隆盛は人前でこんな浴衣姿をさらさなかったと苦言を呈したと伝えられています。
腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿ですが、夫人は浴衣姿の散歩と憂いたのです。
高村光雲の作で、イタリア人画家でお雇い外国人のキヨッソーネ(Edoardo Chiossone)のコンテ画を元に制作したため、似ていないという話も。
足元から見上げた場合に美しく見えるよう、遠近法を計算して造られているため、一見すると頭が大きい感じがします。
没後50年を記念して故郷に建てられた像は凛々しい軍服姿
●城山山麓(鹿児島市立美術館前)
鹿児島県鹿児島市城山町4-36
2番めは没後50年を記念して昭和12年に故郷鹿児島に建立された西郷隆盛像。
初代ハチ公の作者でもある彫刻家・安藤照の作品で、こちらは凛々しい軍服姿。
「安藤は西郷の孫にあたる西郷隆治さんをモデルにし、それを彼の主観でアレンジして造形したのではないかと思っている」(海音寺潮五郎著『西郷隆盛』)
没後50年の鹿児島で、ようやく名誉回復が成されたという点にも注目を。
没後100周年で本来は京に建立予定だった像は着物姿
●西郷公園
鹿児島県霧島市溝辺町麓856-1
3番目は西郷没後100年顕彰事業として制作されたもの。
本来は京都・霊山護国神社に建立予定でしたが、依頼者が完成前に没するなどのアクシデントもあり、高岡市倉庫で寝ていたものを旧・溝辺町(現・霧島市)の有志が昭和63年に誘致したもの。
霊山護国神社は、維新を目前にして倒れた勤皇の志士たちを祀る神社。
彫刻家・古賀忠雄の制作で、こちらは勤皇の志士ということで着物姿と少し復古調になっています。
「現代を見つめる西郷隆盛像」が正式名ですが、実はこの像、高さ10.5mと実在の人物の銅像としては日本一の巨像となっています。
【知られざるニッポン】vol.31 日本に3つある西郷隆盛像 | |
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