首都圏に住んでいても意外に知らないのが、起点駅と終点駅。山手線が田端駅〜品川駅間というのは超難問ですが、私鉄も同様に知っているつもりでも正解は異なる場合が多々あります。西武鉄道のメインである西武池袋線ですが、起点となるのは池袋駅は誰でもわかりますが、終点はどこでしょう。
「終点駅なのに中間駅」の吾野駅までが西武池袋線

西武池袋線の起点駅、池袋駅の時刻表を見てみると、特急「ちちぶ」は西武秩父行きですが、準急、急行、快速は所沢あるいは、飯能行きが大半。
特急「むさし」は飯能止まりです。
一般的に、池袋駅〜飯能駅と考える人が多いのは、こうした運用があるから。
西武池袋線は、歴史的にも前身の武蔵野鉄道が、大正4年4月15日に池袋駅〜飯能間が開業したのが始まり(令和7年で、武蔵野鉄道開業110周年)。
当時は武蔵野線という線名でした。
現在の西武新宿線は川越鉄道が前身で、開業時の所沢駅は、川越鉄道(明治28年3月21日に国分寺駅〜川越駅開通)と共用していました(川越鉄道が駅業務担当)。
当時は貨物輸送が主体で、非電化、蒸気機関車(SL)が主役でしたが、大正11年11月1日に池袋〜所沢が電化、大正14年12月23日には飯能までの電化が完成しています。
昭和4年9月10日、飯能〜吾野(あがの)間(14.1km)が延伸開業し、吾野駅が武蔵野線(現・西武池袋線)の終点駅となりました。
昭和27年3月25日に武蔵野線が名称を池袋線に変更の際にも、池袋駅〜吾野駅が池袋線となっています。
転機となったのは、昭和44年10月14日の西武秩父線の開業。
吾野駅が終点駅でなく、中間駅となり、しかも運用上は池袋〜飯能、飯能〜西武秩父となったため、吾野駅は「終点駅なのに中間駅」となったのです。
吾野駅の北側には、秩父観音参り、秩父三山(秩父神社、宝登山神社、三峯神社)参り、秩父絹商取引で繁栄した江戸秩父道・吾野宿があり、吾野の材木輸送(杉・檜の産地)ということからも吾野駅を起点にしたのだと推測できます。
民俗学者・柳田國男も短篇『村の址』で、吾野宿を秩父の大駅で、絹と杉材の取引が盛んだと記しています。
ちなみに西武鉄道は、「東京都23区西部から埼玉県西部にかかる地盤の安定した『武蔵野台地』の上に旅客駅数92駅、12路線を保有しています」と、地震に強い鉄道をPRしています。

【4月15日で開業110周年】 意外に知らない! 西武池袋線は、どこからどこまで!? | |
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