瀬戸電(名鉄瀬戸線)が開業120周年!

瀬戸電

2025年4月2日(水)、名鉄瀬戸線は開業120周年を迎えました。栄町駅(名古屋市東区)と尾張瀬戸駅(瀬戸市)を結ぶ20.6kmの路線で、特産の瀬戸物を運ぶ目的で1905年4月2日に瀬戸自動鉄道として開業(翌年に瀬戸電気鉄道と改称)。地元では瀬戸電と呼ばれ、長らく名古屋城の外濠(そとぼり)が起点となっていました。

セルポレー式蒸気動車を日本で初採用!

瀬戸自動鉄道が国内で初めて採用したセルポレー式蒸気動車

1905年4月2日の開業は、名古屋鉄道では、尾西鉄道・弥富駅〜津島駅(現・名鉄尾西線)の1898年4月3日に次ぐ歴史を有しています。

もともと瀬戸物(瀬戸焼)で繁栄していた瀬戸ですが、明治時代には名古屋港からの輸出も伸びていたこともあって、搬出のために鉄道敷設は念願でした。
中央西線の誘致運動も行なわれましたが、春日井経由となったため、中央西線・大曽根駅の開設を請願し、大曽根駅と瀬戸駅を結ぶ鉄道を敷設することになったのです。

当初は矢田川(庄内川水系の一級河川)に橋を架けることが困難で、瀬戸駅(現・尾張瀬戸駅)〜矢田駅(14.6km)の部分開業で、1906年に大曽根駅まで延伸しています。
非電化であったため、レオン・セルポレー(Léon Serpollet)が開発、1889年の『パリ万国博覧会』に出展、その後、諸外国に売り込みを開始したというセルポレー式蒸気動車を採用しています(都電の前身、東京馬車鉄道への売り込みに失敗し、瀬戸自動鉄道が日本で初採用に)。
小型高性能ボイラーを搭載し、コークスを燃料にする車両で3両が輸入されています。

ただし蒸気機関なので、給炭、給水が必要で、不便だったため、1907年には電化され、「瀬戸電」(瀬戸電気鉄道)となったのです。
こうしてセルポレー式蒸気動車も1911年に廃車となり、現存していません。

悲願の名古屋都心・栄への乗り入れを実現

堀川駅
瀬戸電の起点となった「外濠線」の堀川駅

当初、予定していた大曽根駅が開業しなかったため(鉄道自体は1900年7月25日に開業していますが駅の設置が遅延)、名古屋乗り入れを計画、名古屋城の外濠をルートとして活用して堀川(堀川駅)と結ぶ「外濠線」を敷設(1911年に御薗駅まで、1915年1月18日に堀川駅まで全通)、名古屋城築城の際に開削された運河・堀川の舟運を利用して、名古屋港へと瀬戸物を輸送したのです。

1911年4月9日には駅の開業が大きく遅れた中央西線・大曽根駅もようやく開業にこぎつけ、瀬戸物は大曽根駅経由で、全国へ、そして「外濠線」・堀川経由で海外へという搬出ルートが確保され、瀬戸の繁栄につながりました。

ヨーロッパの王朝風の衣装を身にまとった人形、ハロウインのグッズ、エンゼル人形などの「瀬戸ノベルティ」(ノベルティ商品)も開発され、第一次世界大戦後には最大のノベルティ生産国であるドイツからの輸入が途絶えたアメリカなどに輸出されています(「瀬戸ノベルティ」ですが、残念ながら国内にはあまり現存していません)。

外濠のなか(空堀でした)を走る電車は、「お濠電車」と呼ばれ鉄道ファンにも人気の路線となりましたが、1973年8月1日までは手動ドアの木造車が走るなど、まだまだ貨物輸送主体のローカル線という雰囲気でした。

そんな瀬戸線も、1982年11月15日に貨物の取り扱いを廃止、瀬戸線も名古屋のベッドタウンとして通勤通学での利用者が増加。
名鉄としては悲願だった名古屋の中心、栄町へ乗り入れ、地下鉄と連絡することを目指すようになります(1971年に名鉄と名古屋市で協議がスタート)。
1978年には瀬戸物などの貨物輸送も終了、それまで600Vだった瀬戸線を1500Vに昇圧、悲願だった瀬戸線の都心・栄町乗り入れが実現しています(地下鉄は栄駅ですが、名鉄は栄町駅です)。

現在では駅集中管理システムが導入され、名古屋市内の高架化が進み、朝のラッシュ時には3分間隔で運転されるほどの過密ダイヤとなっています。
お濠を走った木造電車は、昔語りに。
瀬戸電という言葉も、年配の人しか使わなくなっています。

ちなみに速達列車は特急の運転はなく、急行、準急のみとなっています。
車両はステンレス製車体の名鉄4000系電車が主体(座席はすべてロングシート)。

大津町駅跡
名古屋城外濠を走った「外濠線」の大津町駅跡
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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