慶雲館

慶雲館

明治20年に明治天皇・皇后の行幸啓の行在所(休憩所)として、滋賀県坂田郡長浜町(現・長浜市)の実業家で太湖汽船頭取の浅見又蔵が建設したのが慶雲館。命名したのは、同行した初代総理大臣である伊藤博文といわれています。3ヶ月余りの突貫工事で天皇行幸の日の朝にようやく完成しています。7代目小川治兵衛作庭の庭は国の名勝。

明治天皇を迎えた迎賓館は、7代目小川治兵衛作庭の庭園にも注目

慶雲館
慶雲館

国史跡指定に伴い昭和11年に当時の長浜町に寄贈され、現在は、各種会合や催物の会場に利用されています。
とくに1月20日~3月10日に開催される『長浜盆梅展』は有名。
2階の「玉座の間」からは往時には琵琶湖を眺望することができました。

本庭の池泉回遊式庭園(国の名勝「慶雲館庭園」)は、平安神宮の神苑をはじめ多くの名園を手がけ、近代日本庭園の先覚者といわれる7代目小川治兵衛の作庭によるもので(明治45年完成)、近代日本庭園の傑作。
天皇行幸当時は、庭がまだなく、浅見又蔵の息子、浅見又次郎が行幸25周年を記念して、7代目小川治兵衛に作庭を依頼したもの。
起伏を活かした立体的な庭で、巨石を配した豪快な意匠に、芝生と枯池を前景に琵琶湖を借景に取り込むという手法で、遠近感がある庭に仕上がっています(現在では琵琶湖を眺めることができません)。
庭園完成時に、息子で伏見桃山御陵や現・ウェスティン都ホテル京都「佳水園」などの庭を手がけた8代目小川治兵衛(白楊=小川保太郎)の手による写真集が発行されていることから、白楊が作庭に関わった可能性が高く、京都以外の地においてその作風の一端を伝える貴重な庭になっています。

慶雲館が建つ場所は、江戸時代後期の絵図に、大通寺(真宗大谷派長浜別院)別殿と記され、大通寺住職の別荘であったことがわかっています。

長浜の実業家・浅見又蔵
当時はまだ東海道線が全通していなかったため、京都から東京への旅は、大津港で太湖汽船(琵琶湖汽船の前身)に乗り、長浜駅(明治15年に敦賀線の駅として開業、明治16年に東海道本線に接続)で東海道本線に乗り換える必要があったのです。
これが日本初の鉄道連絡船(明治22年の東海道線全通で廃止)で、長浜駅と大津駅(現・びわ湖浜大津駅)とを結んでいました。
鉄道連絡船に就航した「第一太湖丸」は、日本最初の鉄製汽船でした。
明治天皇が船から鉄道へ乗り換える時間に、休息できる場所がなかったため、浅見又蔵が私財を投じて建築したのが慶雲館というわけなのです。
突貫工事の末、明治20年2月21日朝にようやく完成し、明治天皇と皇后は13:00前に長浜港に到着。
昼食および休憩をとったあと、13:45発の列車で名古屋へと向かっています。
浅見又蔵は家業の浜ちりめんの育成、輸出などに尽力し、長浜港の近代化も促し、琵琶湖湖上輸送の太湖汽船社長、第21国立銀行設立にも寄与しています。

長浜旧開知学校

慶雲館
名称 慶雲館/けいうんかん
所在地 滋賀県長浜市港町2-5
関連HP 慶雲館公式ホームページ
電車・バスで JR長浜駅から徒歩4分
ドライブで 北陸自動車道長浜ICから約4.4km
駐車場 長浜駅西駐車場(120台/有料)など
問い合わせ 慶雲館 TEL:0749-62-0740 /FAX:0749-62-0748
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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