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比叡山延暦寺・にない堂

ユネスコ世界文化遺産に登録された比叡山延暦寺の西塔(さいとう)地区にあるにない堂は阿弥陀如来を本尊とする常行堂と、普賢菩薩を本尊とする法華堂の2つ同じ形をしたお堂。この2つ堂は、渡り廊下によってつながれ法華と念仏が一体であるという、比叡山の教えを表しているといわれ、国の重要文化財に指定されています。

西塔にある弁慶が担いだという堂

阿弥陀如来を本尊とする常行堂
普賢菩薩を本尊とする法華堂

仁寿元年(851年)、天台密を修めて唐から戻った円仁(慈覚大師)が、日本最初の常行三昧堂(常行堂)として比叡山に創建したのが始まり。
現存する常行堂、法華堂は、1595(文禄4)年の再建。

両堂とも方五間の正方形平面で、側面後部で唐破風屋根の渡り廊下でつながれており、弁慶がこの廊下を天秤棒にしてお堂を担いだという伝説が残されています。
「にない堂」の呼び名はこの廊下に肩を入れて弁慶が担ったと伝えられることに由来。
つまりは全体の形が天秤棒に似ているところから「担い堂」の称が生まれたわけです。

常行堂(本来の名称は常行三昧堂)の「常行」とは、90日間、不眠不休で念仏を称え続けて阿弥陀如来の周囲を回り、ついには悟りを開くという荒行の常行三昧(じょうぎょうざんまい)を行なう堂の意。
常行三昧とともに天台宗の重要な行とされる法華三昧を修するための堂である法華堂とセットで建てられているのです。

渡り廊下をくぐれば、転法輪堂(釈迦堂)へと通じています。
このスタイルの常行堂は、円仁が唐に渡った後、天台密を日光山(輪王寺)や東叡山(寛永寺)など東国にも広めていますが、現在、旧来のかたちを伝えているのは、にない堂と日光山輪王寺・常行堂の2ヶ所だけ。
東叡山の中心堂宇である常行堂と法華堂は歌川広重『上野東叡山境内』など多くの浮世絵にも描かれる上野を代表する堂でしたが、失われています。

20年に亘る、厳しい修行に励んだ、親鸞ですが、ついに悟りを得るには至らず、比叡山を下山しています。
その厳しい修行をしたのが西塔地区で、親鸞聖人旧蹟として釈迦堂近くに残されています。

親鸞聖人修行の地
比叡山延暦寺・にない堂
名称比叡山延暦寺・にない堂/ひえいざんえんりゃくじ・にないどう
所在地滋賀県大津市坂本本町4220
公式HP比叡山延暦寺公式ホームページ
電車・バスでJR比叡山坂本駅、または京阪石山坂本線坂本駅から坂本ケーブルで11分、延暦寺駅下車、延暦寺バスセンターからシャトルバスで5分、西塔下車
ドライブで名神高速道路京都東ICから約18km
駐車場奥比叡ドライブウェイ西塔駐車場(75台/無料)
問い合わせ比叡山延暦寺 TEL:077-578-0001/FAX:077-578-0678
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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日光山輪王寺・常行堂

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