滋賀県東近江市五個荘町の金堂地区は、近代日本経済の基礎を築いた近江商人の発祥地のひとつ。平成10年に一帯32.3haが、東近江市五個荘金堂伝統的建造物群保存地区に指定。天秤棒一本から立身出世の夢を叶えた近江商人の哲学や教育、歴史を学ぶことのできる貴重な場所になっています。
五個荘商人の勤勉・誠実の精神が伝わる「本宅」を見学
近江国(現・滋賀県)に本店、本家を置き、他国へ行商して歩いた商人の総称が近江商人。
大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人にも数えられています。
天秤棒1本から財を築き、京、大坂、江戸にも進出したので、「近江の千両天秤」と称されています。
五個荘の近江商人は明治時代の興隆が主で、江戸時代の三都への進出は、文化2年(1805年)の外村与左衛門京都店、文化7年(1810年)の同大坂店と、天保6年(1835年)の外村宇兵衛の江戸店だけです。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される五個荘金堂地区で見学ができる「豪商の館」(近江商人の本宅)は、五個荘近江商人屋敷の外村繁邸、中江準五郎邸、藤井彦四郎邸。
外村宇兵衛邸は、「NIPPONIA五個荘 近江商人の町」として宿泊施設になっているほか、博物館として近江商人全般を学ぶことのできる「東近江市近江商人博物館・中路融人記念館」があります。
近江商人の暮らしぶりを反映して、「豪商の館」といえど、本宅も質素で堅実なものですが(近江商人たちの生活は華美ではなく、質素なものでした)、風雅な庭園や茶室を有していて、近江商人たちの生活の文化的な質の高さを証明しています。
弘誓寺前通りや馬場通り、勝徳寺前通りなど大きな通り沿いに並ぶ、近江商人の本宅が、五個荘金堂地区らしい光景なので、ぜひ記念撮影を。
さらに大和郡山藩の金堂陣屋の防御的な機能を担った勝徳寺などの寺院も時間が許せば立ち寄りを(現在の町並みは江戸時代に金堂陣屋を中心に、勝徳寺、浄栄寺、弘誓寺などを周辺に配して形成されました)。
作家・司馬遼太郎氏、五個荘金堂地区を訪れた時の印象を「たがいに他に対してひかえ目で、しかも微妙に瀟洒(しょうしゃ)な建物をたてるというあたり、施主・大工をふくめた近江という地の文化の土壌の深さに感じ入ったのである(『街道をゆく』第24巻近江散歩・奈良散歩/昭和59年)」と記しています。
滋賀県内の重要伝統的建造物群保存地区は、東近江市五個荘金堂のほか、大津市坂本、彦根市河原町芹町、近江八幡市八幡の合計4ヶ所です。
五個荘町金堂築一帯には古代の条里制が残存
金堂という地名は8世紀に建てられた聖徳太子ゆかりの金堂(金堂廃寺遺跡=集落東側にある8世紀前半創建の寺院跡)に由来すると伝えられる歴史ある集落で(東近江市は日本で一番、聖徳太子にまつわる伝承が多い地域)、集落周辺の道路も古代の条里型水田を踏襲。
集落の中には生活用水に使われてきた水路が流れ、風情ある家並みにアクセントを添えています。
『近江国與地志略』には、「聖徳太子此地に憩息し玉ふ。不動坊という僧、はなはだ尊敬し、太子に遇する殊によし。相與にはかりて寺院を建立し玉ふ。始めに金堂を建玉ふ。依て村の名とす」と記されています。
一帯に広がる神崎郡条里は、愛知川(えちがわ)左岸の沖積平野に敷かれた条里で、中流域から下流域にかけて長さ12km、最大幅4kmの範囲で敷かれたもの。
古代からの条里を基本的に踏襲した金堂集落は10条5里と11条5里にまたがると推測され、集落の周囲には古代条里制をのこす田畑が広がっています。
五個荘という地名も鳥羽法皇の院政時代(1129年~1156年)に周囲の荘園を含めて山前五個荘と呼ばれるようになったのが起源です。
さらに金堂の東側を京と東国を結ぶ幹線道の東山道が通じていたこともあり、近世の発展に繋がりました。
近世に建てられた近江商人の家並みだけに注目せず、周囲の田園風景にも目をむけることをおすすめします。
東近江市五個荘金堂伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 東近江市五個荘金堂伝統的建造物群保存地区/ひがしおうみごかしょうこんどうでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 滋賀県東近江市五個荘金堂町 |
関連HP | 東近江市公式ホームページ |
電車・バスで | 近江鉄道五個荘駅から徒歩25分 |
ドライブで | 名神高速道路八日市ICから約8.8km |
駐車場 | 五個荘金堂駐車場(無料)などを利用 |
問い合わせ | 五個荘観光案内所 TEL:0748-48-6678/FAX:0748-48-6678 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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