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黒田家御廟所

黒田家御廟所

滋賀県長浜市木之本町黒田にあるのが黒田家御廟所。平成26年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛(黒田孝高)。江戸時代には福岡藩主となった黒田家のルーツといわれるのが、湖北・木之本の黒田地区。御廟所に祀られるのは、佐々木源氏(近江源氏)の流れをくむ黒田判官・源宗清(別名・宗満)です。

黒田家も認める黒田家のルーツが北近江に!

伝承によれば、黒田家は、近江国伊香郡黒田村に住み、湖北の荘園の領主として、黒田判官と称し、永正8年(1511年)、山城国の船岡山合戦(室町幕府将軍・足利義稙を擁立する細川高国・大内義興と前将軍・足利義澄を擁立する細川澄元の戦い)の後、備前国邑久郡福岡村(現・岡山県瀬戸内市長船町福岡)に移り住んでいますが、それまでの約200年間、6代にわたり黒田氏はこの地に居を構えていたと伝えられています。
黒田区集会所の建つ一帯が黒田屋敷の跡だと伝えられ、石碑の碑文は、黒田長政から数えて黒田家13代当主、黒田長成(くろだながしげ=最後の筑前福岡藩主・黒田長知の長男)氏の筆で昭和2年の建立。
昭和48年には源宗清と記された御影石も発見され、14代当主・黒田長禮(くろだながみち)氏の依頼で石堂も建てられています。

寛政4年(1792年)の『淡海國木間攫』(田中信精序)によれば、黒田氏は、元祖の宗満以来、代々坂田郡黒田庄本郷村(現・滋賀県米原市本郷)に住んだと記され、旧東黒田村本郷地区が黒田家発祥の地という可能性も残されています。

貝原益軒の調査で、黒田村ルーツが判明

崇福寺(福岡県福岡市博多区)にある黒田孝高(黒田官兵衛)の墓碑には、「播州飾東郡人、姓源」と記され、黒田家は宇多天皇を祖とする近江源氏の一族とされています。
元和4年(1618年)、黒田長政が日光東照宮に奉納した石鳥居には「黒田筑前守藤原長政」と刻まれ、源氏ではなく藤原氏ということに。

福岡藩3代藩主・黒田光之(くろだみつゆき)は、黒田家の家系図をつくろうと家臣の貝原益軒(かいばらえきけん)に命じて『黒田家譜』を編纂します。
2代藩主・黒田忠之(くろだただゆき)の時代には、黒田重隆(黒田官兵衛の祖父)以前は定かでないとされ、近江源氏との関係も記されていませんが、元禄元年(1688年)に完成した『黒田家譜』では、近江国伊香郡黒田がルーツで、黒田を初めて名乗ったという黒田宗清(くろだむねきよ)という人物も登場しています。
近江国黒田村と黒田氏の関係は、貝原益軒の調査では推定する段階でしたが、結果として『黒田家譜』に反映され、今ではこれが定説として流布しています。

黒田家御廟所
名称 黒田家御廟所/くろだけごびょうしょ
所在地 滋賀県長浜市木之本町黒田727
関連HP 長浜観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR木ノ本駅から徒歩15分
ドライブで 北陸自動車道路木之本ICから約1.5km
問い合わせ 奥びわ湖観光協会 TEL:0749-82-5909/FAX:0749-82-3956
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

黒田観音寺

湖北の「観音の里」と呼ばれる滋賀県長浜市木之本町にある臨済宗の寺、黒田観音寺。行基開山と伝わる古刹で一本木造の千手観音立像(准胝観音に近い姿)は平安時代初期の作で国の重要文化財。夫婦円満、病気治癒にご利益があるといわれています。無住のため堂

黒田安念寺

湖北の「観音の里」と呼ばれる滋賀県長浜市木之本町黒田にあるお堂が、黒田安念寺。地元、黒田の里では「いも観音」の名で知られる小さなお堂です。かつては七堂伽藍を誇った天台宗の寺で、織田信長軍の兵火、賤ヶ岳合戦の兵火で寺は焼失。貴重な仏像は村人が

樹徳寺

滋賀県長浜市木之本町田居にある黒田家の菩提寺と伝わる寺が樹徳寺。かっては近江国伊香郡黒田村(現・長浜市木之本町黒田)にありましたが、明治11年に黒田から田居集落に移転しています。黒田官兵衛(黒田孝高)の衣冠束帯姿といわれる肖像画が寺宝として

 

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