滋賀県長浜市にある曹洞宗の寺、徳勝寺。前身は応永年間(1394年~1438年)東浅井郡上山田村(現・長浜市小谷上山田町)に建立の医王寺です。小谷城内に移り、浅井氏の菩提寺となり、浅井氏の滅亡で長浜城内に移り、江戸時代に長浜城下に移転しました。境内には浅井亮政、久政、長政の浅井三代の墓があります。
浅井三代の菩提寺で、浅井三姉妹の関係で江戸時代も存続
永正15年(1518年)、浅井亮政の小谷城築城に伴い、龍山株源を中興として小谷城の麓・清水谷に移して、浅井氏の菩提寺となりました。
小谷城落城後は、浅井長政の妻が織田信長の妹ということもあり(浅井三姉妹は信長の姪)、羽柴秀吉の命により、徳勝寺と改称して長浜城内に寺を移しました。
徳勝寺殿が、浅井亮政(あざいすけまさ)の諡号(戒名は徳勝寺殿前備州太守救外宗護大居士)。
慶長11年(1606年)、内藤信成が長浜城主となった際に、長浜城下の田町(現・朝日町)に移転。
さらに寛文12年(1672年)、井伊直孝の治世の際、浅井長政の百回忌に際し、現在地に移転しています。
2代将軍・徳川秀忠の正室・お江(崇源院)が浅井長政の娘(浅井三姉妹の三女)だったこともあり、江戸時代には彦根藩井伊家の庇護を受けました。
浅井家三代の墓(宝篋印塔)や一族の位牌、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が播州から持ち帰った薬師如来像があるほか、「本光院朝覚居士」と記された位牌があります。
この位牌は、羽柴秀吉の長浜城主時代に誕生し、夭逝した羽柴秀勝(石松丸)のものではないかと推測されており、安土桃山時代初期大名様式の「石囲い箱棺墓」が出土した妙法寺とともに、長浜に伝わる羽柴秀勝生誕伝承の裏付けにもなっています。
現存する本堂は、享保3年(1718年)、皇室と幕府、そして彦根藩主・井伊直惟(いいなおのぶ)の助力によって建立されたもの。
お江と徳川秀忠の五女・徳川和子(東福門院)は後水尾天皇の皇后となったことから、徳勝寺は皇室と幕府、両方の保護を受けたわけなのです。
浅井家を偲ぶものはあまりありませんが、本堂南側の妻飾が小谷城下にあった頃のものといわれています。
三代で滅亡してしまった浅井家ですが、その子女(浅井三姉妹とその娘)が、皇室、豊臣家、徳川家へとそれぞれ縁付いたことで、浅井家の血筋が続くことになり、この徳勝寺が長浜の地に今も残るのは、そんな歴史の結果でもあるのです。
ちなみに浅井三代の宝篋印塔は、昭和37年、延長坊万年寺(長浜市朝日町/現在、住職は徳勝寺が兼務)にあったものを浅井家顕彰会が徳勝寺に移したもの。
徳勝寺(浅井三代の墓) | |
名称 | 徳勝寺(浅井三代の墓)/とくしょうじ(あざいさんだいのはか) |
所在地 | 滋賀県長浜市平方町872 |
関連HP | 長浜市公式ホームページ |
電車・バスで | JR北陸本線長浜駅から徒歩13分 |
ドライブで | 北陸自動車道長浜ICから約4.5km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 徳勝寺 TEL:0749-62-5774 |
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