近江国(滋賀県)大津と平安京を結ぶ峠越えの道が逢坂越(おうさかごえ)。都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、多くの文人が歌にも残しています。平安京防御の拠点ともなった峠越えの道には関所が設けられていました。大津市の国道1号沿いに逢坂の関記念公園が整備されています。
有名な逢坂関は、平安京防御の拠点にもなっていた!
「これやこの行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」(蝉丸『後撰和歌集』)
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」(清少納言『後拾遺和歌集』)
逢坂関は、平安時代中期以降、不破関(ふわのせき/現・岐阜県不破郡関ケ原町松尾)、鈴鹿関(現・三重県亀山市)と並んで三関(さんげん、さんかん)に数えられる重要な関所でした。
大化2年(646年)に初めて設置され、その後いったん廃止されますが斉衡4年(857年)に再度設置されています。
平安時代にはここが畿内の東端になっていました。
南北朝時代以降には三井寺(園城寺)が管理し、関銭を徴収。
多くの文人が歌を残し蝉丸が居を構えた逢坂山ですが、実際の逢坂関がどこにあったのかは定かでありません。
現在、長安寺が建つ滋賀県大津市逢坂2丁目に関寺という寺があり(南北朝時代に廃絶)、そのあたりに関があったとも推測されていますが、近世以降、道路改良で道が掘り下げられて、場所の特定が困難になっています。
京阪電鉄大谷駅の東100mの国道1号沿いに逢坂の関記念公園が整備され、逢坂山関址(おうさかやまのせきあと)の石碑が立っています(実際に関所があったのは、記念碑から少し大津寄りと推測されています)。
『源氏物語』の作者・紫式部も、石山寺や、越前に向かう際には、この逢坂の関を通りましたが、『源氏物語』の「関屋」の巻では、光源氏が石山寺に向かう途中、かつて契りを結んだ空蝉(うつせみ)と出会う描写があります。
逢坂の関記念公園 | |
名称 | 逢坂の関記念公園/おおさかのせききねんこうえん |
所在地 | 滋賀県大津市逢坂 |
関連HP | 大津市公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪電鉄大谷駅から徒歩5分 |
ドライブで | 名神高速道路大津ICから約3.4km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 大津市観光振興課 TEL:077-528-2756 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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