逢坂山トンネル東口

逢坂山トンネル東口

滋賀県大津市にある日本初の山岳工法で完成したトンネルの抗口が逢坂山トンネル東口(逢坂山隧道東口)。京都〜敦賀港を結ぶ鉄道のトンネルとして明治13年7月15日に開業した区間で、日本人のみの手で開削された歴史あるトンネル。現存する日本最古のトンネルとして鉄道記念物にもなっています。

日本最古の鉄道トンネルは逢坂越に!

新橋〜横浜の開通に続き、明治7年5月11日、大阪〜神戸間に敷設された鉄道のトンネルは、すべて天井川の下をくぐる川底トンネルだったので、山を貫く山岳トンネルとしては初のもの。
総監督は「工技生養成所」の教師・飯田俊徳(いいだとしのり)、外国人について大阪~神戸間の線路建設に従事した國澤能長(くにさわよしなが)が現場の工事監督で、工事には生野銀山(工部省の管轄)の坑夫を応援に呼び寄せ、明治11年10月5日に東口から掘削を開始し、12月5日には西口からも開削を行ない、明治12年9月10日に貫通しています(明治13年6月28日竣工)。
全長664.76mで、トンネルの東口には三条実美の「楽成頼功、明治庚辰七月」の額が掲げられています。

東海道線大津~京都間の旧線大津(現在の膳所)~大谷間のトンネルとして使われていました。
トンネル自体は、25‰(パーミル)と勾配が急などの理由から大正10年7月31日に、新線(勾配を緩和した東山トンネルと新逢坂山トンネルが完成)の開通で役割を終え、戦時中は軍需工場に、戦後は京大物理学教室の実験施設に転用されていました。
現在は、「京都大学防災研究所附属地震予知研究センター逢坂山観測所」となっており、トンネル内部からの湧水は大津市の上水道にも使われています。

西口は、名神高速道路の建設で撤去され、廃線跡は高速道路に転用、面影を失っています(「逢坂山とんねる跡」の石碑が立っています)。

逢坂山トンネル東口は、大谷加圧ポンプ場のすぐ南側、逢坂1丁目交差点の北側に入口がありますが、駐車場などはないので注意が必要。

逢坂越は、京の都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」という蝉丸(せみまる)の歌は、百人一首にも採りあげられて広く親しまれています。
逢坂山トンネル東口近くには、関蝉丸神社(上社、下社)があるので、あわせて参拝を。

逢坂山トンネル東口
名称 逢坂山トンネル東口/おうさかやまとんねるひがしぐち
所在地 滋賀県大津市逢坂1-18
電車・バスで 京阪上栄町駅徒歩10分、JR大津駅から徒歩15分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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