清流で有名な四国・四万十川、実は近年まで違う名前だった!?

四万十川

「日本最後の清流」とも称される、高知県を流れる四万十川(しまんとがわ)。津野町の不入山渡川を源流に、太平洋に注ぎ出す全長196kmの一級河川ですが、実は平成6年まで、一級河川としての名称は、渡川(わたりがわ)だったのです。河川法上の名称は現在でも渡川水系四万十川となっていて、渡川という名を残しています。

NHKの特集番組が河川名を変える大きなきかけに!

四万十川
四万十川の源流

「土佐の小京都」といわれる中村(現・四万十市)を流れる四万十川(渡川)。
中村には向川、渡川、後川が流れ、高知城下側から街道を九州に向かって歩いた際、向川が最初の川で、続いて渡川で中村の町に入り、町を抜けて後川ということになるのです。

四万十川の治水事業が始まった昭和初期にはこの中村市街など下流部の渡川という名がもっとも一般的で、戦後も長らく渡川と呼ばれていました。
その名称が大きく変化したのが、昭和58年9月に放送されたNHK特集『土佐・四万十川~清流と魚と人と~』という1時間番組です。
番組内で一度だけ使われた「日本最後の清流」というフレーズが、突如として四万十川を全国区にお仕上げたのです。
「日本最後の清流」というフレーズもしっかりと吟味検証するとかなりオーバーな表現で、十勝を流れる歴舟川など、四万十川を上回る「日本一の清流」があることから、決して「日本最後」でもないのですが、この言葉のインパクトは大きく、一躍全国区に押し上げたのです。

この番組の功績(あるいは問題点)はもうひとつあり、それが河川名称で、おもに上流部の名称だった四万十川を用いたことで(本来の河川名は河口付近の名称を用いるのが一般的)、渡川ではなく「四万十川」の名が全国区になったのです。

四万十川
四万十川名物の沈下橋

中村市も今では四万十市に!

四万十川
渡川水系四万十川の河口部

もともと四万十川の名前の由来も、十万石の木材を十回流す流送量を十万十川としたという森林資源由来説など諸説あって定かでありません。
江戸時代後期、土佐藩士・防意軒半開(ぼういけはんかい)の著した俳諧紀行集『幡多郡紀行』(『奥の細道』土佐版とも)では、安政5年(1858年)の記録として、上流の四万川と中流の十川とを組み合わせた名前としています。

いずれにしてもNHKが特集で取り上げ、「日本最後の清流」とまで持ち上げた四万十川は、上中流部の名称で、下流はあくまでも渡川、そして全体としての河川名称も、河口主義で渡川となっていました。

放送から7年後の平成2年には中村市(現・四万十市)も「中村市四万十川清流保全条例」を制定、この時、行政も観光的な見地からすでに渡川という歴史的な名を手放し、四万十川を受け入れていたことがわかります。
平成5年には一級河川の河川名称を管轄する建設省が、『第1回四万十川サミット』を開催、同年、環境省も四万十川自然環境保全推進協議会を設立し、いよいよ四万十川という名が定着していきます。

こうした環境を背景に、平成6年7月、ついに「渡川」から「四万十川」に名称変更され、7月25日が「四万十川の日」となったのです。

戦国時代に土佐国に定着した公家・一条家が京を真似た街造りを行なった土佐・中村ですが、平成17年4月10日、隣接する西土佐村と合併し、四万十市となり、「四万十市を流れる四万十川」というスタイルが完成しました。

中村城下を西へ、「九州に向かって渡る川」という意味すら今では失われつつあります。
そう考えると「日本最後の清流」、「四万十川」という名のインパクトは実に大きかったということに。

清流で有名な四国・四万十川、実は近年まで違う名前だった!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

四万十川源流点

標高1336.2mの不入山(いらずやま)の東中腹、標高1037mの地点が全長196kmと四国一の長さを誇る清流、四万十川の源流点。藩政時代には土佐藩の御留山(おとめやま)として厳しく伐採が制限されていたことが名の由来という、不入山。そんな歴

四万十川源流の碑(源流点登山口)

標高1336.2mの不入山(いらずやま)の東中腹、標高1037m地点が四万十川の源流。源流への登山道入口(源流点登山口)の標高910m地点には、四万十川源流の碑と呼ばれる石碑が立っています。四万十川源流点の登山道入口までは車で到達可能四万十

四万十川

清流で有名な四国・四万十川、実は近年まで違う名前だった!?

「日本最後の清流」とも称される、高知県を流れる四万十川(しまんとがわ)。津野町の不入山渡川を源流に、太平洋に注ぎ出す全長196kmの一級河川ですが、実は平成6年まで、一級河川としての名称は、渡川(わたりがわ)だったのです。河川法上の名称は現

第一三島沈下橋・予土線第4四万十川橋梁

第一三島沈下橋・予土線第4四万十川橋梁

高知県高岡郡四万十町昭和、国道381号から四万十川に架る沈下橋が、第一三島沈下橋で、すぐ横を予土線第4四万十川橋梁が架かり、不思議な景観を生み出しています。四万十川の三島キャンプ場のある中洲に架るのが第一三島沈下橋で、東側(轟集落側)には第

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ