東海道・山陽新幹線に初代の0系に次ぐ、2代目車両として登場したのが100系。1985年にデビューし、2003年に営業運転を終えるまで長きにわたって活躍。16両編成中2両が2階建て(ダブルデッカー)で、そのうちの1両には食堂車またはカフェテリア・グリーン車を連結していました。
富士山を眺めながらサーロインステーキを味わう

2階建て新幹線というと、JR東日本が上越新幹線、東北新幹線に投入した「MAX」(E1系・E4系/2012年9月引退)を思い浮かべる人も多いでしょう。
こちらはビジネスユースが主体で大量輸送を狙いに開発された車両で、車内空間もやや窮屈な感じでした。
対して東海道・山陽新幹線の100系は、「国鉄改革の象徴」として製造された車両で、開発目標は、なんと「お客様第一。乗務員は二の次」だったのです。
新幹線が西へと延伸するに従って航空機との熾烈な戦いが生まれましたが、それに打ち勝つためのサービス・快適性の向上も必須という背景も。
飛行機に対抗して、ミュージックサービスとNHKラジオ第1放送の送信も行ない、グリーン車内では備え付けのイヤホンで聴くことができたのです(普通車は手持ちのFMラジオを利用)。
「ニュー新幹線」として登場した100系は、すでに近鉄がビスタカーで採用していた2階建てを取り入れ、「シャークノーズ」と呼ばれたフロントマスクで、その新しさを強調しています。
2階建て車両2両のうち、1両の2階部分にはグリーン車とグリーン個室(9号車)を、残り1両の2階に食堂車(またはカフェテリア)と、少し豪華な仕様(1階は通路・厨房・売店または普通席)。
眺望のいい2階部分がまさに展望レストランとなっていたので、「富士山を見ながら食事ができます」が謳い文句になっていました。
バブル経済の追い風もあり、「サーロインステーキ定食」が人気のメニューで、少し高い値段設定でもこれが一番人気に。
ご飯は、30人分が炊きあがるという業務用炊飯器を使っていましたが、最盛期には10回炊くというフル回転だったことも。
それでも引退する頃には1回炊けば十分なくらいに利用者も減りました。
その大きな原因は新幹線にも灯るものが、旅の楽しさではなく、速達性に移ったから。
こうして270km/h運転の「のぞみ」による速達輸送が主流となっていくと、速度が遅い100系はお荷物に。
こうして「富士山を眺めながらサーロインステーキを味わう」という優雅な時間は失われたのです。
ちなみに、2階建て新幹線は左右への揺れも大きかったので、当初は酔う人もいたのだとか。
「子供の頃、2階建て食堂車に行ったよ」という人もすでに30代なっています。
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