意外に知らない! 総武本線の「総」と「武」は何を意味する!?

総武本線

総武本線の起点は、東京駅、終点は銚子駅で、120.5km、49駅の本線ですが、総武の「総」と「武」は何を意味するのかはご存知でしょうか。明治時代、鉄道敷設気運の盛り上がりを受けて計画された鉄道。当時、千葉方面と東京を結ぶ物資の運搬などは、舟運に頼っており、成田山への参詣にも船が利用されていました。

総武本線のルーツは武総鉄道と総州鉄道

総武本線
横須賀線に直通する総武線快速

新橋・横浜間の鉄道開業から15年を経た明治20年、水郷・佐原の伊能権之丞(伊能家は入り婿で伊能忠敬を生んだ名主)らは、武総鉄道会社を設立。
当時の佐原は利根川舟運で「「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町 江戸まさり」」と唄われるほど栄えていましたが、近代化への立ち遅れを危惧して、鉄道敷設が計画されたのです。

ほぼ同じ頃、成東の安井理民(やすいはるたみ=自らの屋敷を役場とした戸長)は、総州鉄道会社を発起していますが、千葉県知事・船越衛(ふなこしまもる)は舟運を重視し、利根運河の開削を優先させたので、鉄道建設に消極的だったため、本拠を東京に移し、東京都知事を通じて正式に鉄道敷設を政府に願い出ています。

国策事業として利根運河開削を進めていたため、政府も鉄道敷設には消極的だったので、武総鉄道会社と総州鉄道会社は、合同で総武鉄道を設立、鉄道敷設に尽力したのです。

総武本線の「総」というのは総州、つまりは上総(かずさ=千葉県中央部)、下総(しもうさ=千葉県北部と茨城県南西部、東京都東部)を意味する言葉。
「武」は武州・武蔵(むさし)で東京を意味しています。

つまりは、東京と千葉(上総、下総)を結ぶ鉄道ということになります。
ちなみに佐原は下総国、成東は上総国なので、武蔵〜上総〜下総を結ぶ鉄道です。

政府が千葉県への鉄道敷設を認めなかったことで、千葉県の鉄道敷設は大幅に遅れ、明治25年に公布された鉄道敷設法で「東京府下上野ヨリ千葉県下千葉、佐倉ヲ経テ銚子ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ木更津ニ至ル鉄道」が建設計画に盛り込まれ、総武鉄道はようやく明治26年8月に着工となっています。

明治27年7月20日、総武鉄道市川駅〜佐倉駅が開業していますが、これが千葉県における初となる鉄道開通。
明治37年には両国橋駅(現・両国駅)まで延伸、東京側のターミナル駅となりました(両国橋駅で路面電車に乗り継ぎました)。
そんな総武鉄道も明治40年、鉄道国有法で国有化され、総武本線となっています。

総武本線
総武本線のオリジナルカラーは「カナリヤイエロー」
総武鉄道の路線図、起点は隅田川を越えることなく、両国です
意外に知らない! 総武本線の「総」と「武」は何を意味する!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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