「日本のピラミッド」仏塔は、なぜ生まれた!?

日本にもピラミッドに似た遺構があります。もっともピラミッドに近いのが「熊山ピラミッド」で、岡山県赤磐市、熊山の山頂に築かれたもの。歴史学的には、仏塔といわれており、同様のものが奈良県奈良市の頭塔、大阪府堺市・大野寺の土塔があります。なぜ奈良時代にピラミッド型の仏塔が誕生したのでしょう。

階段状ピラミッドは、古代インドの仏塔の影響

日本にもピラミッドがあると提唱したのは、酒井勝軍(さかいかつとき)で、昭和9年に青森県戸来村(現・新郷村)に「大石神ピラミッド」を発見。
さらに飛騨高山で「上野平ピラミッド」を見つけ、『太古日本のピラミッド』を出版していますが、このピラミッドは自然地形で、それを古代人が築いたピラミッドと推測したものです。
「大石神ピラミッド」近くには「キリストの墓」も発見、戸来村はヘブライの転訛という主張もあって、奇想天外な話しながら、古代史ロマンをかきたてました。

酒井勝軍は、後にオカルト雑誌「ムー」創刊にも参画していますが、20世紀末にハルマゲドンが起こるなど、主張はオカルト的で飛躍もあり、歴史学的には完全に無視されています。

対してここに紹介する仏塔は、釈迦の遺骨(仏舎利)を納めて礼拝するために構築される、インドの「ストゥーパ」(stupa=日本では卒塔婆、パコダとも)を起源とする仏教建築。
紀元前3世紀に古代インドで生まれたもので、当然、歴史学的にも考証の対象。
五重塔、三重塔などの塔もこの仏塔のひとつですが、なぜか奈良時代初期、ピラミッド型の仏塔が構築されていることは、今も謎に包まれています。

「ストゥーパ」は中国を経由し仏教とともに日本に伝来しているので、古代インドやスリランカなどの土饅頭型仏塔の影響を受けているのかもしれません。
古代インドでは、土饅頭型でしたが、ユネスコの世界遺産に登録されるインドネシアのボロブドゥール遺跡(Borobudur)は、8世紀後半に建設が始まった石造ピラミッド型の建築物。
巨大さでは日本のピラミッド型仏塔を圧倒していますが、建築された時代的には日本のほうが先です。

天平勝宝5年(753年)、遣唐使・大伴古麻呂が密教を日本に伝え、天平勝宝6年(754年)には鑑真が平城京にたどり着いています。
その直後に頭塔が築かれているので、奈良時代の特殊建築であるピラミッド型仏塔は、密教伝来とともに東大寺近く、そして堺、さらには吉備国に築かれたのだと推測できます。

「日本のピラミッド」仏塔は、なぜ生まれた!?
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