全国に1300社ある浅間神社(せんげんじんじゃ)の総本社が富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社。
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つになっています。
本殿・拝殿・楼門は家康の寄進
富士山本宮浅間大社は、駿河国(静岡県東部の旧国名)のなかで最も社格の高いとされる神社、一之宮。
駿河国の場合は、
総社:神部神社 (静岡市葵区宮ヶ崎町=静岡浅間神社)
一之宮:富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市宮町)
二之宮:豊積神社 (静岡市清水区由比町屋原)
三之宮:御穂神社 (静岡市清水区三保)
といった具合になっています。
富士山本宮浅間大社の本宮は富士宮市街にありますが、奥宮は富士山頂に鎮座。そして古来、富士山自体がご神体でもあるので、現在も富士山の8合目から上部は富士山本宮浅間大社の霊域(境内)になっています。
現存する本殿・拝殿は、慶長9年(1604年)に徳川家康の造営で、国の重要文化財。寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿がのる、二重の楼閣造となる珍しい形式で「浅間造」(せんげんづくり)と呼ばれています。
徳川家康は、慶長10年(1605年)4月16日に将軍職を辞し、息子・秀忠を後継にして徳川政権の安定を図ります。
つまり、富士山本宮浅間大社の社殿造営は、家康の「将軍時代の集大成」の一部でもあるのです。
慶長12年(1607年)には駿府城に居を移し、「大御所時代」が始まります(隠居という立場を隠れ蓑として大胆な政策を縦横無尽に展開)。
楼門も徳川家康造営と伝わりますが、楼門の左右には安置された随身の背銘に慶長19年(1614)の年号があります。
慶長19年といえば、方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣に発展した年。20万人の大軍で大坂城を包囲した年に、楼門は完成しています。
境内を散策しよう
富士山本宮浅間大社は武家による信仰も篤く、建久4年(1193)、源頼朝が富士山麓で巻狩り(軍事演習)を行なった際に、駿河国一之宮である富士山本宮浅間大社に参拝。
流鏑馬(やぶさめ)を奉納して、武運長久、天下泰平を祈願しました。
毎年5月4日から6日に桜馬場で齋行される『流鏑馬祭』も、実はこの源頼朝の奉納がルーツなのだとか。
山宮浅間神社(富士山本宮浅間大社の元宮・山宮)と富士山本宮浅間大社の間では明治7年まで『山宮御神幸』という行事が執り行なわれており、楼門前の石段上にある自然石(鉾立石)は、その「御鉾の渡御」で神鉾を休めた場所。
祭神の木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)の木花とは桜を意味することから、境内には500本もの桜が植栽されています。
なかでも注目の桜が「信玄桜」。武田信玄が寄進したと伝わる枝垂れ桜で、現在は2代目の桜が咲きます。
富士山本宮浅間大社 | |
名称 | 富士山本宮浅間大社/ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ |
所在地 | 静岡県富士宮市宮町1-1 |
関連HP | 富士山本宮浅間大社公式ホームページ |
電車・バスで | JR富士宮駅から徒歩15分 |
ドライブで | 新東名高速道路新富士ICから約8km |
駐車場 | 150台/30分まで無料、以降有料 |
問い合わせ | 富士山本宮浅間大社 TEL:0544-27-2002/FAX:0544-26-3762 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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