明治時代〜大正時代の政治家で、内閣総理大臣(第8・17代)、そして早稲田大学の創設者・大隈重信(おおくましげのぶ)が、天保9年2月16日(1838年3月11日)の誕生から東京へ移るまで過ごした生家が大隈重信旧宅として佐賀市に現存(国の史跡に)。隣接して昭和42年に大隈重信誕生125年を記念して開館の大隈重信記念館が建っています。
早稲田大学の創始者・大隈重信の生家が現存
大隈重信旧宅・大隈記念館は佐賀城下・会所小路(かいしょこうじ)の南側にあり、佐賀藩の中級武士が居住したエリア。
大隈重信は、佐賀藩士・大隈信保・三井子夫妻の長男として、この地に生まれています(幼名は八太郎)。
家柄は、石火矢頭人(砲術長)を務め、知行300石の上士。
大隈重信は、佐賀藩の国学者・枝吉神陽(えだよししんよう=幕末の尊王思想家で、天皇を中心とする倒幕思想は枝吉の『日本一君論』から始まったとも)から国学を学び、枝吉神陽が結成した尊皇派の「楠公義祭同盟」に副島種臣(そえじまたねおみ=枝吉神陽の弟)、江藤新平(えとうしんぺい=「維新の十傑」で、戊辰戦争の東征大総督府軍監)らと参加しています。
大隈重信旧宅・大隈記念館一帯には武家屋敷、クリークが残る川端には蔵屋敷が建ち並んでいました。
建物は、佐賀地方の民家にみられるくど造り。
江戸期の武家屋敷の遺構として貴重なもので国の史跡にも指定されています。
わら葺きの平屋だが一部2階建てで、1階は座敷と茶の間、2階は母が増築した重信の勉強部屋になっています。
旧宅の隣には重信の足跡がわかる大隈重信記念館も併設。
館内には大隈重信が使用した義足、早稲田大学総長時代の緋色のガウン、少年時代に愛用の硯などを展示しています。
大隈重信旧宅 | |
名称 | 大隈重信旧宅/おおくましげのぶきゅうたく |
所在地 | 佐賀県佐賀市水ケ江2-11-11 |
関連HP | 大隈重信記念館公式ホームページ |
電車・バスで | JR佐賀駅バスセンターから市営バス早津江・犬井道行きで10分、県立病院東門下車、徒歩3分 |
ドライブで | 長崎自動車道佐賀大和ICから約10.3km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 大隈重信記念館 TEL:0952-23-2891/FAX:0952-23-2891 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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