鯨組主中尾家屋敷

鯨組主中尾家屋敷

佐賀県唐津市呼子町にある江戸時代中期から明治10年にかけて、代々「甚六」の名を襲名しながら8代、170年間にわたって沿岸捕鯨の鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷が鯨組主中尾家屋敷。『小川島鯨鯢合戦』に描かれた主屋は当時の姿を良く残しており、佐賀県の重要文化財に指定されています。

唐津藩の財政を左右した鯨組主の屋敷

鯨組は、江戸時代初期に泉州堺(大阪府)、尾州・知多(愛知県)で確立した大規模な捕鯨集団のこと。
鯨は、肉を食用に、鯨油を灯火用の燃料するほか、骨やヒゲは手工芸品の材料にも使われ、重宝されたのです。

鯨組主中尾家は、3代・中尾甚六の頃が隆盛を極めた時代で、「鯨一頭捕れば七浦賑わう」、「中尾様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」という俗諺が残されています。
唐津藩の財政に大きな影響力をもち、勘定場には千両箱が高く積み重ねられたとの伝承も。

3代中尾甚六は、天明3年(1783年)、唐津藩主や対馬藩主・宗氏の宿泊所(出漁の様子を見学した「殿見の間」を設置)にするために、屋敷地拡張と建物の改築、離屋の新築を行なって現在の姿になりました。

主屋北棟は建築年代が18世紀中期に遡ると推測され、現存する九州北部の町家建築では最古の部類のものです。
表通りに面した主屋は天保11年(1840年)に江戸時代の捕鯨の様子を描いた『小川島鯨鯢合戦』(編・豊秋亭里遊、画・渓柳舎希楽)に「中尾鯨組前作事場新屋鋪之図」として描かれている豪壮な建物ですが、描かれた姿に近い景観を残し、呼子のレトロな街並み形成する一部となっています。

『小川島鯨鯢合戦』は、呼子の沖合にある小川島での捕鯨の様子を描いたもので、小川島には鯨見張所が残されています。

鯨組主中尾家の建物は、荒廃を防ぐために買い取った唐津市が4億円をかけて整備し、平成23年4月24日に公開。
勘定場の跡は史料の展示コーナーになっています。

鯨組主中尾家屋敷
名称 鯨組主中尾家屋敷/くじらくみぬしなかおけやきし
所在地 佐賀県唐津市呼子町呼子3750-3
関連HP 唐津市公式ホームページ
電車・バスで JR唐津駅からタクシーで30分。または、JR唐津駅大手口バスセンターから呼子行きで30分、呼子バス発着所下車、徒歩5分
ドライブで 西九州自動車道前原東ICから約44km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 鯨組主中尾家屋敷 TEL:0955-82-0309
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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