静岡県湖西市新居町、東海道江戸・日本橋から数えて31番目の宿場、新居宿にあった旅籠(はたご)「紀伊国屋」をミュージアムとして再生したのが新居宿旅籠紀伊国屋資料館。その名の通り、徳川御三家・紀州藩の御用宿で、現存する旅籠建築は、明治7年の大火により焼失した直後に再建されたもの。
明治初期に再建された旅籠建築を見学
初代・小野田弥左衛門は紀州の出身で、江戸時代初期に新居宿に移り住み、茶屋を営んだのが始まりで、後に旅籠となり、江戸時代中期の元禄16年(1703年)、徳川御三家・紀州藩の御用宿になっています。
「紀伊国屋」の屋号となったのは、紀州藩の御用宿となった後の正徳6年(1716年)から。
江戸時代後期には敷地内に紀州藩の七里飛脚(しちりびきゃく=江戸屋敷と紀州城との連絡に7里ごとに中継の役所を設置し、5人1組の飛脚を配置/江戸〜和歌山間の584kmを8日間、特急便の場合は4日で輸送)の役所を設置していました。
新居宿には本陣は飯田武兵衛本陣、疋田八郎兵衛本陣、疋田弥五助本陣と3軒を数えましたが、旅籠は、意外に少なく二十数軒で(大井川を控えた島田宿、金谷宿は50軒ほど、浜松には100軒近くの旅籠がありました)、「紀の国屋弥左衛門」(小野田姓から疋田姓に改称し、疋田弥左衛門が経営)は最大級の大旅籠でした。
「新居の鰻蒲焼」、「丸子のとろろ汁」、「桑名の焼蛤」は東海道三大名物といわれていましたが、秘伝のタレを使った「紀の国屋弥左衛門」の鰻の蒲焼きは街道名物にもなっていました。
「紀の国屋弥左衛門」では、関東風に背開きにし、蒸してから焼いていました。
昭和24年まで旅館業を営みましたが、廃業し、平成13年に解体修理が行なわれ、街道時代の旅籠(湖西市の文化財)を復元して宿場文化を伝える貴重な資料を展示しています。
新居宿旅籠紀伊国屋資料館 | |
名称 | 新居宿旅籠紀伊国屋資料館/あらいじゅくはたごきのくにやしりょうかん |
所在地 | 静岡県湖西市新居町新居1280-1 |
関連HP | 湖西市公式ホームページ |
電車・バスで | JR新居町駅から徒歩8分 |
ドライブで | 東名高速道路浜松西ICから約16km |
駐車場 | 新居関所駐車場(50台/無料)を利用 |
問い合わせ | 新居宿旅籠紀伊国屋資料館 TEL:053-594-3821 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag