市外通話発祥の地

市外通話発祥の地

静岡県熱海市、噴湯(5分毎に人工的に湯を噴出)が印象的な大湯間欠泉(おおゆかんけつせん)近くにあるのが、市外通話発祥の地。国内初の温泉療養施設「噏滊館」(きゅうきかん)と東京木挽町の東京電信局との間で、明治22年1月1日、初の公衆向け市外電話が行なわれています。

政財界の要人が熱海に訪れていたため、市外通話が始まる

「噏滊館」は、明治18年に開設された内務省の施設。
有名な熱海梅園も、この噏滊館に付帯する遊歩公園として、明治19年に開設されたもので、内務省衛生局長・長与専斎が、「病気は薬だけではなく、緑の中で適度な運動をして、身も心も治療してこそ効果があがる」と考えて、横浜の豪商・茂木惣兵衛の協力で造園。
明治11年、岩崎弥太郎は徳川家光の御殿跡を購入し、明治16年、三菱合資会社から敷地の献納を受け、明治22年に熱海御用邸を建設。
これは、当時健康のすぐれなかった皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)の避寒地として建設されたもので(温泉地に築かれた最初の御用邸)、熱海の温泉療養が大いに注目されていたことがわかります。
「噏滊館」が温泉療養の中心的な存在で、アレクサンダー・グラハムベルが電話機を発明してからわずか13年後の明治22年1月1日、日本で最初に市外電話のための電話回線が設けられたのです。
熱海と東京都の間に電話回線が敷設されたのは、保養や会談のため熱海に政府の要人、皇族が多数訪れていたから。

大湯間欠泉近くに明治100年を記念して、わが国初の公衆電話ボックスを模して復元した「六角形の白い公衆電話ボックス」と、「市外電話発祥の地」の碑が立っています。

明治29年3月12日には小田原・吉浜〜熱海間に人夫が客車を押すという「豆相人車鉄道」(24.8km、所要4時間)が開通(小田原町内線を延長し、小田原電気鉄道線と連絡は明治33年6月20日)。
明治30年1月1日には、貫一とお宮の悲恋の物語で有名な尾崎紅葉の『金色夜叉』の連載が読売新聞で始まります。

市外通話発祥の地
名称 市外通話発祥の地/しがいつうわはっしょうのち
所在地 静岡県熱海市上宿町4-3地先
関連HP 熱海市観光協会公式サイト
電車・バスで JR熱海駅から徒歩15分
ドライブで 西湘バイパス石橋ICから約20km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 熱海市生涯学習課文化施設室 TEL:0577-86-6231
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大湯間欠泉

大湯間欠泉

熱海温泉に古来からある源泉、熱海七湯(大湯、河原湯、小沢の湯、風呂の湯、清左衛門の湯、佐治郎の湯、野中の湯)のひとつが大湯。熱海市街の中心に、大湯間欠泉としてその姿をとどめています。大湯は、熱海温泉の中心的な存在で、徳川家康も、慶長2年(1

 

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