興井(沖の石)
宮城県多賀城市、末の松山浄水場近くにあるのが歌枕になっている景勝地、興井(沖の石)。「おきのい」は、興井、沖の石、沖の井とも表記し、末の松山の南に位置し、住宅に取り囲まれた直径20mほどの池の中に奇岩が露出しています。芭…
宮城県多賀城市、末の松山浄水場近くにあるのが歌枕になっている景勝地、興井(沖の石)。「おきのい」は、興井、沖の石、沖の井とも表記し、末の松山の南に位置し、住宅に取り囲まれた直径20mほどの池の中に奇岩が露出しています。芭…
宮城県多賀城市にある歌枕になっている景勝地が、末の松山(すえのまつやま)。歌枕とは、和歌に詠み込まれ、有名になった歌名所のこと。日本最古の勅撰和歌集である『古今和歌集』に「きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 …
宮城県多賀城市にある奈良時代に立てられた石碑が多賀城碑。多賀城跡の外郭南門から30mほど城内に入ったところに立つ古代の石碑で、那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)、多胡碑と並ぶ「日本三古碑」のひとつ。天平宝字6年(76…
日光街道・奥州街道の草加宿(そうかしゅく)は千住宿、越ヶ谷宿の間の間の宿(あいのしゅく)として1630(寛永7)年に設けられた宿場。草加松原は、かつての街道沿いに残る松並木で、綾瀬川に沿って栄町3丁目の旧道南側詰から神明…
大垣はかつて揖斐川、水門川、杭瀬川などの河川を利用した舟運(しゅううん)が盛んな場所で水の都とも呼ばれていました。なかでも大垣と桑名を結ぶ水門川・揖斐川は、水運の中心で、明治時代に入っても重要な交易ルートとして活用されて…