今治城・山里櫓
愛媛県今治市通町3丁目、今治城の三の丸西隅に再建されているのが、山里櫓。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として建築されたも…
愛媛県今治市通町3丁目、今治城の三の丸西隅に再建されているのが、山里櫓。今治城の遺構は、明治維新後にすべて破却され、現存する建物はすべて昭和55年以降の再建ですが、山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として建築されたも…
香川県高松市玉藻町、高松城の桜の馬場と三の丸の間にあるのが、桜御門。『高松城下図屏風』に描かれる門で、戦前に国宝(現在の重要文化財)になることが決まっていましたが、昭和20年7月の高松空襲で焼失。令和4年6月に再建され、…
大分県竹田市、江戸時代に岡藩の藩庁が置かれた山城が、岡城(豊後竹田城)。日本100名城、日本さくら名所100選にも選定される城です。岡城の中核部分の入口となるのが三の丸で、往時には藩主が家臣や他藩からの使者などに対面した…
大分県竹田市、江戸時代に岡藩の藩庁が置かれた山城が、岡城(豊後竹田城)。日本100名城、日本さくら名所100選にも選定される城です。太鼓櫓跡は、三の丸の入口を防備する櫓門で、城内で最も重要な門だった場所。隣接して鐘櫓跡が…
青森県弘前市(ひろさきし)、昭和63年、弘前公園内の弘前城三の丸に開園した植物園が弘前城植物園。明治維新後、家臣の屋敷が建ち並んでいた三の丸一帯は、兵部省(後の陸軍省)の管轄となり、戦後は弘前大学教育学部がありましたが、…
青森県弘前市、弘前城の三の丸南端、大手口(追手口)にある城門が弘前城・三の丸追手門。慶長15年(1610年)築で、三の丸枡形に建つ櫓門形式の城門。弘前市役所前に位置する追手門は、現在では桜の花見で名高い弘前公園の正面入口…
大分県佐伯市の南西、標高144mの城山に、1606(慶長11)年、築城の名人・毛利高政が築いたと伝わる平山城が、佐伯城(さいきじょう)。山頂の本丸周辺には石垣しか残されていませんが、麓の佐伯文化会館横には、佐伯藩3代当主…
大手門をくぐった先が三の丸。芝生の広がる三の丸広場にはかって、向屋敷御殿、武蔵野御殿、三の丸御殿、数奇屋などがびっしりと並び、石垣上には3層の櫓が3基、2層の櫓7基が多聞櫓と結ばれていました。天下泰平の世になると播磨姫路…
高崎城・乾櫓は、もともとは平屋の土蔵のような建物でしたが第3代藩主・安藤重博(あんどうしげひろ/1657年〜1695年に藩主)が櫓に改築しています。明治維新後は、下小鳥町に移築され納屋として使用されていましたが、昭和52…
往時には本丸門など16もの門があったという高崎城ですが、現存するのは東門のみ。16の城門のうち、本丸門、刎橋門、東門は平屋門で、乗篭が通過できる潜り戸があったのは三之郭(三の丸)入口にあった東門だけ。城の玄関(正門)は三…
福岡城の三の丸の外側にある堀には西側に下之橋、東側に上之橋、さらに追廻橋という3つの橋が架けられていました。西側の下之橋が大手(玄関口)で、東側が搦手(からめて=裏口)です。ともに堅牢な枡形門。下之橋御門(大手門)は、平…
内苑御庭は高松城三の丸に築かれた藩政時代の庭をもとに、大正5年頃に手を入れた枯山水の庭。大正3年〜6年に再建された披雲閣の庭園として築庭されたものです。老松の緑のなかに江戸時代の三尊石や重さ11tといわれる手水鉢や大飛石…
江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分…
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
江戸城の三の丸と二の丸を隔てる濠。平川門から江戸城に入ると左手に天神濠、右手に平川濠があります。今では土橋になっていますが、江戸城築城当初は跳ね橋で、いざという時には橋を落として防衛力を強化することができました。天神濠と…