姫路城・三の丸広場

大手門をくぐった先が三の丸。芝生の広がる三の丸広場にはかって、向屋敷御殿、武蔵野御殿、三の丸御殿、数奇屋などがびっしりと並び、石垣上には3層の櫓が3基、2層の櫓7基が多聞櫓と結ばれていました。天下泰平の世になると播磨姫路藩初代藩主・本多忠政は三の丸に御殿を建てて居館としています。

姫路城のビューポイントは、往時には藩主の御殿があった場所

城主の居館は築城当初、天守台の下にある本丸にあって備前丸と称していました。
しかし、山上で使い勝手が悪いため、本多忠政は三の丸に本城と称する御殿(三の丸御殿)を建ててここに住んだのです。
三の丸には本城と呼ばれる藩主の公務に使われる御殿(本城、上屋敷)、別邸の向屋敷御殿(下屋敷)、本多忠刻と千姫が新婚生活を送った武蔵野御殿の3つの御殿が御殿群を形成していました。

姫路城三の丸の高台にある千姫ぼたん園のある場所が三の丸御殿の跡(本城)。
三の丸御殿(本城)の東にも数寄屋造りの屋敷があり、それが向屋敷御殿で今は芝生が広がる広場となっています。

向屋敷御殿は、藩主の下屋敷(別邸)で、公務を離れプライベートな時間をくつろいで過ごす別荘でした。
賓客をもてなすこともあるため、向屋敷御殿には美しい大名庭園も備え、池に舟を浮かべて遊んだりもしました。

もうひとつの武蔵野御殿は、徳川四天王のひとり、本多忠政が息子の本多忠刻と千姫とが住むために建てた御殿で現在の三の丸広場の西端に位置していました。
武蔵野御殿と呼ぶのは、千姫が故郷・武蔵野(江戸)を偲ぶために、襖絵にすすきの画をあしらったからとか。

藩主は三の丸に居住し、政務も三の丸で

三の丸にあった御殿や櫓などは、明治時代に大阪鎮台歩兵第十連隊の用地となったときに石垣を残して取り壊されてしまっています。

三の丸跡は、現在では姫路公園(「日本の歴史公園100選」選定)の三の丸広場となり、「世界遺産姫路城十景」に数えられる姫路城のビューポイントになっています。
市民のランニングの場所になっている三の丸ですが、藩政時代に藩士にとって「城」あるいは「登城」といえばこの三の丸を意味したことは間違いありません。
政治的、生活的な中心はこの三の丸(あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷)にあったから。
ここから天守を見上げて「まだあんなに遠い」と思う観光客の感覚は、藩主にも通じるものがあったのでしょう。
ましてや泰平の世であれば、本丸に住む合理性、機能性はまるでなかったのです。

姫路城・三の丸広場 DATA

名称 姫路城・三の丸広場/ひめじじょう・さんのまるひろば
Sannomaru Square,Himeji Castle
所在地 兵庫県姫路市本町68
関連HP 姫路城公式ホームページ
電車・バスで JR・山陽電鉄姫路駅から徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道山陽姫路東ICから約6km
駐車場 市営城の北駐車場(150台)、市営姫山駐車場(250台)、市営大手門駐車場(600台)/有料
問い合わせ 姫路市観光振興課TEL:079-287-3652/FAX:079-287-3657
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

姫路城

2017.12.07
 

 

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プレスマンユニオン編集部

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