浦賀渡船
神奈川県横須賀市浦賀にある浦賀港は、江戸時代には廻船問屋が軒を連ねた港町。その浦賀港の東西を結ぶ公営渡船が浦賀渡船(うらがとせん)。浦賀の渡しとも、浦賀海道とも呼ばれる渡し船は、明治11年8月に東西浦賀の17町内会の共同…
神奈川県横須賀市浦賀にある浦賀港は、江戸時代には廻船問屋が軒を連ねた港町。その浦賀港の東西を結ぶ公営渡船が浦賀渡船(うらがとせん)。浦賀の渡しとも、浦賀海道とも呼ばれる渡し船は、明治11年8月に東西浦賀の17町内会の共同…
大阪市に現存する河川や港の公営渡船のうち、木津川河口部の渡し船が木津川渡船場。大阪市の公営渡船では唯一の大阪市港湾局の管理(他は大阪市建設局が管理運航)。昭和30年12月からカーフェリーで運航されていましたが、すぐ脇に千…
大阪市に現存する河川や港の公営渡船のうち、木津川の千本松大橋(ループ橋)脇に残る渡し船が千本松渡船場。すぐ脇に千本松大橋(ループ橋)が開通していますが、橋桁部分まで上るのが大変という理由で完成後も渡し船が残され、1日平均…
大阪市大正区にある大正内港を渡る公営渡船。大阪港復興事業の一つとして大正区の内港化工事を行った際、既設の千歳橋が撤去され、その代行処置で運航が始まったもの。大正区鶴町3丁目(鶴町側)と同区北恩加島2丁目(北恩加島側)の岸…
大阪市に8ヶ所現存する公営渡船のうち、木津川と大正内港を結ぶ木津川運河(大正5年完成、幅80m)に運航されるのが船町渡船場。大正区鶴町1丁目と大正区船町1丁目を結ぶ短い渡船で、昭和20年代後半から30年代にかけは、船を連…
水の都といわれる大阪市に8ヶ所ある公営渡船のうち、利用者がもっとも多い渡船が尻無川を渡る甚兵衛渡船場。利用者が多い理由は、周辺に高等学校があるから。甚兵衛によって設けられたという歴史ある渡船は、大正区泉尾7丁目(泉尾側)…
大阪市に現存する公営渡船8航路のうち、木津川に残る4ヶ所の渡船のひとつ。渡船のなかでは木津川では最上流に位置し、大正区千島1丁目(千島側桟橋)と西成区北津守3丁目(北津守側桟橋)を結んでいます。すぐ上流に木津川水門(防潮…
大阪市に8航路残る公営渡船のひとつ。天保10年(1839年)の『大坂湊口新田細見図』にワタシと記される江戸時代から運航された木津川の渡し船が落合下渡船場(おちあいしもとせんば)。大正区平尾1丁目(平尾側桟橋)と西成区津守…
「水の都・大阪」には今なお8航路が、大阪市建設局西部方面管理事務所により運航されています(木津川渡のみ大阪市港湾局の運航)。そのうち、もっとも人気の高い航路が天保山渡船で、明治40年に市営渡船となった歴史ある渡し船です。…
天保山公園と此花区桜島3丁目を結ぶ安治川にかかる岸壁間400mもの公営渡船が天保山渡船場。大阪港の繁栄を企図した大阪市が港湾振興策の一環として明治38年に開設。当初は天保山、桜島、築港大桟橋の間を三角運航しましたが昭和元…