龍田神社
奈良県生駒郡斑鳩町龍田、聖徳太子が法隆寺を建てる際、その鎮守社としたのが、龍田神社(たつたじんじゃ)。法隆寺創建の地の選定に迷っていたところ、龍田明神が翁の姿になって現れ、斑鳩が適地と告げたと伝わる古社です。
奈良県生駒郡斑鳩町龍田、聖徳太子が法隆寺を建てる際、その鎮守社としたのが、龍田神社(たつたじんじゃ)。法隆寺創建の地の選定に迷っていたところ、龍田明神が翁の姿になって現れ、斑鳩が適地と告げたと伝わる古社です。
南都とは、奈良時代に都があった現在の奈良市のこと。和銅3年(710年)の平城京遷都後、南都(奈良)とその周辺にあった朝廷の保護を受けた東大寺、西大寺、法隆寺、薬師寺、大安寺、元興寺、興福寺の7ヶ寺が南都七大寺(なんとしち…
全国の五重塔のなかで国宝に指定される塔は9塔、国の重要文化財に指定は13塔あります。さらに三重塔に国宝13塔、重要文化財43塔、多宝塔に国宝6塔、国の重要文化財35塔を数えます。そのなかで選ばれる「日本三名塔」は、法隆寺…
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、生涯に20万を超える句を詠んだ正岡子規の作品のうちで、もっとも有名なもの。『海南新聞』明治28年11月8日号に掲載された句で、「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きがあります。つまり、ある…
法隆寺の西院伽藍は、奈良時代の法隆寺式伽藍配置を体現していますが、大講堂の前(南側)で、西に経蔵、東に鐘楼と楼閣建築が対となって配されています。経蔵は、天平様式を基調とすることから奈良時代の建築と推測され、現存する楼造り…
法隆寺、国宝文化財が建ち並ぶ西院伽藍の北西、小高い場所に、八角円堂の西円堂があります。薬師如来像を安置するため「峯の薬師」(峰薬師)と通称されるお堂です。718(養老2)年、光明皇后の母・橘夫人の発願によって、行基が創建…
法隆寺の西院伽藍、金堂、五重塔をぐるりと囲む大回廊の東西には、僧侶の住居であった南北に細長い僧房(東室、西室)がありますが、聖徳太子像(平安時代のもので国宝)を安置するために東室の南端部分を改造したものが聖霊院(しょうり…
法隆寺の東院伽藍にある講堂が伝法堂。建物は、739(天平11)年の建立で、聖武天皇の橘夫人の邸から移築したもので国宝。現存する奈良時代の貴族住宅で唯一の遺構です。平面が7間×4間、瓦葺きの建物ですが、創建当時は、5間×4…
国宝や重要文化財だけで190を数える法隆寺。さすがに世界遺産という感じですが、見落としてならないのは築垣(ついがき)。南大門から西院伽藍の中門に延びる参道の脇にある築垣も国の重要文化財に指定されています。
法隆寺でもっとも巨大な建築物である西院伽藍・大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つのが鐘楼。奈良時代創建の鐘楼は925(延長3)年に落雷により講堂とともに焼失。現存する鐘楼は10世紀末頃に再建されたもので国宝。再建時に、…
601年に造営された聖徳太子の宮殿、斑鳩宮(いかるがのみや)跡に739(天平11)年、法隆寺東院の復興に尽力した行信(ぎょうしん)が創建した上宮王院(じょうぐうおういん=夢殿・伝法堂・絵殿・舎利殿からなる社殿)の聖堂が夢…
法隆寺の金堂、五重塔などがある西院伽藍から、夢殿のある東院伽藍への途中にある奈良時代建立の八脚門が東大門(とうだいもん)で国宝。西院伽藍、東院伽藍の間にあるもんということで「中ノ門」とも呼ばれています。現存する日本最古の…
法隆寺のなかで最大の建造物が西院伽藍にある大講堂。僧侶が学問を研鑽したり、法要を執り行なうための施設で、創建時のものは鐘楼とともに925(延長3)年の落雷で焼失。現存する建物は990(正暦元)年に再建されたもので国宝。元…
法隆寺の本尊を安置する堂が西院伽藍の金堂。本尊である金銅釈迦三尊像は、623(推古天皇31)年、聖徳太子の冥福を祈って、渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)に造らせたもの。中国北魏様式の影響を伝えるもので国宝。外観…