関ヶ原古戦場散策 福島正則コース
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で、福島正則関連の陣跡をめぐるのが福島正則コース。秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄ながら東軍の先鋒を務め、宇喜多秀家軍と激突しています。全行程6.7km、所要1時間45分…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で、福島正則関連の陣跡をめぐるのが福島正則コース。秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄ながら東軍の先鋒を務め、宇喜多秀家軍と激突しています。全行程6.7km、所要1時間45分…
戦国大名で、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)で知られる福島正則は、尾張国海東郡二ツ寺村(現・愛知県あま市二ツ寺屋敷)の出身。菩提寺の菊泉院の南側に、福島正則生誕地の碑が立っています。関ヶ原の戦いでは東軍の先鋒を…
広島県大竹市、広島城主・福島正則が築城した亀居城の城跡公園が亀居公園。慶長13年(1608年)に広島城の支城として築城されますが、わずか3年で破却された幻の城です。築城当時、海に面して港を備えた亀居城は、現在では化学コン…
慶長15年(1610年)、名古屋城(現・愛知県名古屋市)築城の際に福島正則(ふくしままさのり)によって開削された運河が堀川。名古屋城建築の資材も運ばれたほか、明治以降は名古屋城周辺で作られた陶器を名古屋港に運ぶ舟運にも利…
広島県広島市にある真言宗別格本山の寺が不動院。14世紀中頃、足利尊氏(あしかがたかうじ)と足利直義(あしかがただよし)の兄弟が、夢窓疎石の勧めにより、南北朝の戦乱で亡くなった後醍醐天皇以下の敵と味方の霊を慰めるために、諸…
高野山には今も現役で時を告げる鐘が2ヶ所あります。壇上伽藍・金堂の右脇、根本大塔の南に位置する高野四郎(こうやしろう=大塔の鐘)、そしてもうひとつが壇上伽藍から少し離れた金剛峯寺前駐車場に近い六時の鐘です。高い石垣の上に…
永禄4年(1561年)に大鳥居を再建した毛利元就(もうりもとなり)は、永禄11年(1568年)、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けて、能を奉納しています。現存する能舞台は江戸時代前期に広島藩主・浅野綱長が改築したもの…
長野県小布施町(おぶせまち)にある文明4年(1472年)開基の曹洞宗の古刹が岩松院(がんしょういん)。本堂の天井に描かれた『八方睨大鳳凰図』(はっぽうにらみほうおうず)は、北斎晩年に描いた実に21畳という大きさの大作。北…
広島城は、天正17年(1589年)、豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元(もうりてるもと)により築城され、天守は昭和6年に国宝に指定され、城郭建築が残されていました。残念ながら原爆投下により全壊し、現在の天守は昭和33年に復…
東軍を迎え撃つかたちの西軍方は大将の石田三成の拠る笹尾山、副将の宇喜多秀家の拠る天満山、小早川秀秋の拠る松尾山、そして毛利秀元の南宮山という布陣で、東軍を囲む鶴翼の陣(かくよくのじん)を敷き、優位な状況で戦いが始まります…
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で行なわれた、「天下分け目の戦い」関ヶ原の合戦。東軍の先陣は福島正則と事前の軍議で決められており、井伊直政の抜け駆け的に開始した…