亀居公園(亀居城)

亀居公園(亀居城)

広島県大竹市、広島城主・福島正則が築城した亀居城の城跡公園が亀居公園。慶長13年(1608年)に広島城の支城として築城されますが、わずか3年で破却された幻の城です。築城当時、海に面して港を備えた亀居城は、現在では化学コンビナート群の夜景を眺める工場夜景のスポットにもなっています。

本丸跡から大竹のコンビナート群を俯瞰

亀居城は、本丸、二の丸、三の丸、有の丸、なしの丸、詰めの丸、松の丸、名古屋丸、捨ての丸、鐘の丸、妙見丸と11の郭で形成される大規模な城で、慶長8年(1603年)、福島正則の甥・福島正宣(ふくしままさのぶ)に1万石を与え築城を開始、慶長13年(1608年)に完成していますが、城主の福島正宣は完成を見ることなく死没しています。

築城当時は小方城と呼ばれていましたが、亀の形に似ていることから(海に向かって先端部が亀の頭)、亀居城と通称されるようになりました。
慶長16年(1611年)に城が破却されていますが、毛利氏への押さえが不要になったのか、その真相は、今も定かでありません。

亀居公園にはソメイヨシノなど300本の桜が植栽され、例年3月下旬〜4月上旬にかけて、満開に咲き誇ります。
亀居城本丸跡展望台からの瀬戸内海の眺望はバツグンで、三菱ケミカル、三菱レイヨン大竹のコンビナート群を俯瞰する展望地にもなっています。
「詩の坂道」(うたのさかみち)は、昭和62年に大竹市出身の作詞家・石本美由起(いしもとみゆき=戦時中は呉鎮守府管轄の大竹海兵団に勤務)の40周年を記念して整備されたもので、美空ひばりが歌った『悲しい酒』(昭和41年)、藤山一郎の『憧れのハワイ航路』(昭和23年)、ちあきなおみ(昭和57年)、細川たかし(昭和58年・競作)の『矢切の渡し』(細川たかし版が日本レコード大賞)など7基の歌碑を結んでいます。

ちなみに亀居城の石垣は往時のものが現存。
刻印の刻まれたものが42種類、246個ありますが(大竹市歴史研究会の平成2年9月~10月の調査)、うち21種類は広島城でも見つかっているので、関ヶ原合戦後に尾張国・清洲から広島に移封された福島正則の築いた城(毛利氏に対する守りの城)という証にもなっています(広島城は毛利輝元時代に築城を開始しているので、福島正則入城後にも毛利配下の石工集団などを使ったことがわかります)。

亀居公園(亀居城)
名称 亀居公園(亀居城)/かめいこうえん(かめいじょう)
所在地 広島県大竹市小方2丁目
関連HP 大竹市公式ホームページ
電車・バスで JR大竹駅からこいこいバスでおがたピア下車、徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道大竹ICからすぐ
駐車場 30台/無料
問い合わせ 大竹市産業振興課商工振興係 TEL:0827−59-2131
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
広島城

広島城

広島城は、天正17年(1589年)、豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元(もうりてるもと)により築城され、天守は昭和6年に国宝に指定され、城郭建築が残されていました。残念ながら原爆投下により全壊し、現在の天守は昭和33年に復元されたもの。名古屋

晴海臨海公園

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広島県大竹市、大竹市役所の海側の埋立地にある臨海公園が晴海臨海公園。大型の遊具が設置され、潮風に吹かれながら子供たちの歓声が響き渡る公園です。駐車場(2ヶ所)、晴海臨海公園球技場、テニスコートも整備されていますが、すぐ南側に三菱レイヨンのコ

 

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