温暖な縄文時代、千葉県は「ぼぼ島状態」だった!?
温暖な縄文時代、縄文海進で海が関東平野の奥、埼玉県、茨城県あたりまで侵入していた時代、千葉県域は房総半島部分を残して水没し、「島」に近い状態だったことも明らかになっています。千葉県の貝塚の多くが、現在は海岸線から離れた台…
温暖な縄文時代、縄文海進で海が関東平野の奥、埼玉県、茨城県あたりまで侵入していた時代、千葉県域は房総半島部分を残して水没し、「島」に近い状態だったことも明らかになっています。千葉県の貝塚の多くが、現在は海岸線から離れた台…
東京都足立区伊興にある古墳時代の集落跡、祭祀遺跡を中心とした複合遺跡が、伊興遺跡(いこういせき)。一帯は伊興遺跡公園として整備され、竪穴住居、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が復元されています。併設して伊興遺跡公園展示…
埼玉県川口市東貝塚にある縄文時代後期・晩期の貝塚が、新郷貝塚。貝塚は馬蹄形で、南北150m、東西120mに及び、埼玉県を代表する貝塚として県の史跡にもなっています。明治26年、東京帝国大学人類学研究室・鳥居龍蔵博士が最初…
鹿児島市街の中央に位置する、標高108mの小高い山、城山。鹿児島本線は城山隧道で直下を抜けています。その城山の市街地に迫り出した崖の上にあるのが城山展望台。桜島、薩南諸島へのフェリーが発着する桜島港を眼下に、錦江湾や桜島…