瀬脇砲台跡
鹿児島県肝属郡南大隅町にある幕末の砲台跡が、瀬脇砲台跡。嘉永4年(1851年)、薩摩藩は攘夷(じょうい=外敵を撃ち払って入国させない)の目的で瀬脇砲台、と辺田原に根占砲台(現・台場公園)を築き、大砲1門を構えています。瀬…
鹿児島県肝属郡南大隅町にある幕末の砲台跡が、瀬脇砲台跡。嘉永4年(1851年)、薩摩藩は攘夷(じょうい=外敵を撃ち払って入国させない)の目的で瀬脇砲台、と辺田原に根占砲台(現・台場公園)を築き、大砲1門を構えています。瀬…
神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目 、首都高速道路神奈川7号横浜北線の岸谷生麦IC近くの高架下にあるのが、生麦事件の碑(なまむぎじけんのひ)。文久2年8月21日(1862年9月14日)、居留地のイギリス人が薩摩藩の大名行列に…
鹿児島市街の中央に位置する、標高108mの小高い山、城山。鹿児島本線は城山隧道で直下を抜けています。その城山の市街地に迫り出した崖の上にあるのが城山展望台。桜島、薩南諸島へのフェリーが発着する桜島港を眼下に、錦江湾や桜島…
万治元年(1658年)、第19代当主で薩摩藩第2代藩主の島津光久(しまづ みつひさ)によって造園された仙巌園。島津家の別邸として利用された磯御殿は、見事な書院造り。明治21年からは焼失した鹿児島城に代わり、島津忠義公爵一…
万治元年(1658年)に島津家19代、薩摩藩第2代藩主・島津光久(しまづ みつひさ)が別邸として造園した庭園が仙巌園で、通称「磯庭園」。園内には奇岩奇石が多く、中国江西省・龍虎山の仙巌に似ていることから「仙巌園」と名付け…
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で島津家は西軍に属しますが、徳川家重臣・井伊直政の取りなしで領地を安堵され、島津義弘の三男・島津家久が当主となり鹿児島藩(通称薩摩藩)を立藩。慶長7年(1602年)、初代藩主・島津家久…
宝暦3年(1753年)〜宝暦5年(1755年)に幕府の指揮下、薩摩藩が行なった木曽三川(きそさんせん=木曽川・長良川・揖斐川)の三川分流工事に伴い、工事後に築かれた堤に植栽されたのが1000本の松で、千本松原(油島千本…
江戸時代に行なわれた木曽三川(きそさんせん)の治水工事(分流工事)のうちでもっとも難工事だったのが宝暦の治水工事。工事中に薩摩藩士51名が自害(幕府への届け出は病死)、33名が病死しています。その薩摩藩士を祀り、過酷な工…