邪馬台国&卑弥呼の謎に迫るカギ、 「青龍三年」銘の銅鏡とは!?
倭国に邪馬台国(やまたいこく)が栄えた弥生時代(3世紀)の環壕集落が、大阪府高槻市の安満遺跡(あまいせき)。その背後の丘陵に築かれた安満宮山古墳(あまみややまこふん)から出土した銅鏡のうち、「青龍三年」銘の銅鏡が、『魏志…
倭国に邪馬台国(やまたいこく)が栄えた弥生時代(3世紀)の環壕集落が、大阪府高槻市の安満遺跡(あまいせき)。その背後の丘陵に築かれた安満宮山古墳(あまみややまこふん)から出土した銅鏡のうち、「青龍三年」銘の銅鏡が、『魏志…
関東で初めて古墳が築かれたのはどこで、いつ頃でしょう。実は古墳時代の始まり(古墳出現期)の3世紀中頃、現在の千葉県市原市に神門5号墳(ごうどごごうふん)が築かれていて、これが関東における古墳時代の始まり。時代は連合国家「…
3世紀末の中国の史書『魏志倭人伝』に記される女王・卑弥呼が治める邪馬台国(やまたいこく)。九州説では佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)ではないかと推測する人が多いのですが、畿内説の有力な候補として浮上しているのが奈…
『魏志倭人伝』に記載される邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれるのが奈良県桜井市、箸墓古墳((はしはかこふん/3世紀中頃~後半の前方後円墳)ですが、同じ纒向古墳群(纒向遺跡)の纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふ…
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
島根県雲南市加茂町にある神原神社(かんばらじんじゃ)境内にある古墳が、神原神社古墳。一辺30m~35m、高さ5mほどの方墳だったと推測されていますが、昭和47年、卑弥呼が魏に使者を派遣した「景初三年」(239年)の銘を有…
京都府木津川市山城町、木津川東岸の尾根の裾を巧みに利用した古墳時代初期(3世紀末)の前方後円墳が椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)。墳丘長175m、後円部の高さ20mという京都府で3番目の巨大古墳で、国の史跡に指…
古墳時代前期の大規模集落である奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。南東端に位置するホケノ山古墳は3世紀前半頃に造られた日本でも最も古い部類に属する前方後円墳。一帯には古墳時代初頭から前期に造られた古墳が数多く残され…