纒向遺跡

纒向遺跡

古墳時代前期の大規模集落である奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。南東端に位置するホケノ山古墳は3世紀前半頃に造られた日本でも最も古い部類に属する前方後円墳。一帯には古墳時代初頭から前期に造られた古墳が数多く残され、ヤマト政権の重要な場所だったことが推測されています。

ここが初期ヤマト政権最初の「都宮」の跡!?

纒向遺跡
箸墓古墳
纒向遺跡
桜井市立埋蔵文化財センター展示の出土品

纒向遺跡は、三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期(3世紀)から古墳時代前期にかけての集落遺跡で、国の史跡。
纒向(まきむく)という名は、旧村名で、垂仁天皇の「纒向珠城宮」(まきむくたまきのみや=桜井市巻野内420一帯)、景行天皇の「纒向日代宮」(まきむくひしろのみや=伝承地/奈良県桜井市穴師447)から名づけられたもの。

一帯に集中する古墳は、前方後円墳である矢塚古墳(東田町・纒向小学校西側)、勝山古墳(東田町・纒向小学校北側)、石塚古墳(東田町・纒向小学校東側)、東田大塚古墳(東田町・矢塚古墳南300m)、箸墓古墳(箸中町)。

前方後円墳が誕生し、周濠や外堤をもつ大王墓に発展した過程が残された貴重な遺跡群で、「前方後円墳発祥の地」、さらには「邪馬台国の中心地」(邪馬台国畿内説を立証する遺跡)と考える研究者もいます。
初期ヤマト政権発祥の地であることは確実で、農耕具の出土よりも土木工事用の工具が圧倒的に多いことなどから日本最初の「都市」、初期ヤマト政権最初の「都宮」と推測されています。

また出土土器の3割が北陸など他の地域の土器である点も交易、搬入、外来者の生産など様々な可能性が推測され、注目度も大。
調査が行なわれたのは、まだ全体の数%で、今後の発掘調査の結果に期待が高まっています。

纒向遺跡
名称 纒向遺跡/まきむくいせき
所在地 奈良県桜井市東田
関連HP 桜井市纒向学研究センター公式ホームページ
電車・バスで JR巻向駅から徒歩15分
問い合わせ 桜井市纒向学研究センター TEL:0744-45-0590/FAX:0744-45-0590
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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