名古屋城・不明門

名古屋城・不明門

愛知県名古屋市中区、国の特別史跡に指定される名古屋城。本丸の天守横、天守台脇に設置されたエレベータの横から北側に抜ける場所に位置する門が、不明門(ふめいのもん)。「常に鎖して開かず」から不明門(あけずもん)という意味で、本丸御殿の大奥へ通じる秘門となっていました。

本丸御殿大奥へ通じる秘門

多門塀の下をくぐる小さな埋門で、常に厳重に施錠されていたことから、不明門(あかずもん=不開門)と呼ばれていました。
防御機能として、大天守と小天守を結ぶ櫓台と同様に、多門塀の軒下、忍び返しに剣塀(つるぎべい=鋭い槍の穂先を並べて侵入を防ぐ塀)が設けられています。

不明門をくぐると本丸内堀で、土橋で渡ると御深井丸(おふけまる)です(本丸と不明門枡形で連結)。
御深井丸は、西之丸と透門枡形で連絡するので、不明門から外出する場合は、御深井丸を経て本丸の南西に位置していた西之丸へ、さらに榎多門(えのきだもん=現在の名古屋城正門)で三之丸に出るという反時計回りで三之丸へ出るというルートをたどることになります。

往時の不明門は、昭和20年5月14日の名古屋大空襲で天守などとともに消失、昭和53年3月、原形の通りに再建されています。

本丸御殿は尾張藩の藩庁としては手狭だったため、早くも元和3年(1617年)から二之丸御殿の工事にかかり、元和6年(1620年)に完成。
尾張藩主となった徳川義直は、完成した二之丸御殿に居住しています。
二之丸御殿には、藩の政庁である表御殿の北側に、藩主の生活する中奥があり、さらに東側に藩主夫人の御殿のである御内証(大奥)を配したので、本丸御殿(将軍上洛の際の寝所として機能)の北にあった不明門は機能を失ない(いざという時のエスケープルートです)、名実ともに不明門(あけずもん)となっています。

名古屋城・不明門
名称 名古屋城・不明門/なごやじょう・ふめいのもん
所在地 愛知県名古屋市中区本丸1-1
関連HP 名古屋城公式ホームページ
電車・バスで 名古屋市営地下鉄名古屋城駅から徒歩5分
駐車場 正門前駐車場(319台/有料)、二之丸東駐車場(202台/有料)
問い合わせ 名古屋城総合事務所 TEL:052-231-1700
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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