椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳

京都府木津川市山城町、木津川東岸の尾根の裾を巧みに利用した古墳時代初期(3世紀末)の前方後円墳が椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)。墳丘長175m、後円部の高さ20mという京都府で3番目の巨大古墳で、国の史跡に指定。出土品は国の重要文化財になっています。

「三角縁神獣鏡」が出土した前方後円墳

昭和28年、国鉄奈良線の法面(のりめん)拡幅工事の際に発見された竪穴式石室内から40面近い中国鏡が出土、うち32面が「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」だったことから古代史をゆるがす発見として注目された古墳です。
現在もJR奈良線が後円部を南北に縦断していますが、平成12年、発見から半世紀を経て、国の史跡に指定されています。

古墳のある場所は、古代の山背古道(やましろこどう)の一部。
山背古道は北は城陽から南は木津まで奈良線にそって伸びる古代の官道です。

古墳の造られた古墳時代初期(3世紀末)は、『魏志倭人伝』(中国の歴史書『三国志』の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)の記された、いわゆる邪馬台国の時代に相当し、最古の前方後円墳と目され、邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかとする学説もある箸墓古墳(はしはかこふん/奈良県桜井市)の3分の2の大きさの相似形です。

邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られた鏡と推測される「三角縁神獣鏡」が大量に出土したことから、椿井大塚山古墳の副葬品が「邪馬台国畿内説」を裏付ける根拠にもなっているのです。
淀川を遡った木津川の右岸、つまりは古代の川湊を支配した豪族とも推測できます。

後円部は4段からなり、最下段が花崗岩の岩盤を削り出して造られ、2段目から上を花崗岩の欠片や木津川の川原石を使った盛土で造成。
墳丘の頂に上がることもでき、ベンチに座って邪馬台国だったかもしれない山城の盆地を一望することができます。

京都府には1万3000基以上の古墳があり、全国でも3番目の数を誇りますが、椿井大塚山古墳は、網野銚子山古墳(墳丘長201m/京丹後市)、神明山古墳(墳丘長190m/京丹後市)次ぐ、巨大古墳です。

ちなみに三角縁神獣鏡の出土数では、黒塚古墳(奈良県天理市)が33面で日本一、2番目が32面の椿井大塚山古墳です(ともに古墳出現期の古墳)。

椿井大塚山古墳
名称 椿井大塚山古墳/つばいおおつかやまこふん
所在地 京都府木津川市山城町椿井三階
関連HP 木津川市公式ホームページ
電車・バスで JR奈良線上狛駅から徒歩20分
ドライブで 京奈和自動車道木津ICから約6km
駐車場 なし
問い合わせ 木津川市観光商工課 TEL:0774-75-1216/FAX:0774-72-3900
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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