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木戸孝允駒込別邸跡

木戸孝允駒込別邸跡

東京都豊島区駒込1丁目、現在は標石が立つのみとなっていますが、木戸孝允が駒込染井町に明治2年に築いた別邸の跡が、木戸孝允駒込別邸跡(きどたかよしこまごめべっていあと)。西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑に数えられる木戸孝允は、富士見町(現・千代田区九段北2)の本邸のほかに、別邸を設けていました。

明治2年に木戸孝允が別邸を構えた地

駒込染井町(明治2年起立)界隈には江戸時代に大名屋敷が数多くあり、植木職人が暮らすなど、緑豊かな土地柄で、心許せる友をここに招いたと伝えられています。
別邸を建てた場所も旗本で幕末の安政4年(1857年)に川成島藩(かわなりじまはん=静岡県富士市川成島に短期間存在した藩)の藩主となった本郷泰固(ほんごうやすかた)の下屋敷だった地。

木戸孝允を信頼する明治天皇は、明治9年4月にこの地を訪れ、維新の功労者である木戸をねぎらっています。
「明治天皇行幸所木戸旧邸」がその場所であることを示すのみですが、明治9年にはすでに病を患っており、明治10年5月26日、京都の別邸(木戸孝允旧邸・達磨堂)で没しています。

木戸孝允駒込別邸跡
名称 木戸孝允駒込別邸跡/きどたかよしこまごめべっていあと
所在地 東京都豊島区駒込1-10-1
電車・バスで JR・東京メトロ駒込駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

木戸孝允の墓

京都市東山区、京都霊山護国神社の墓地にあるのが、木戸孝允の墓。西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑に数えられる木戸孝允(桂小五郎)は、京都の自邸で明治10年5月26日に病没(大腸がんの肝臓転移)。維新の三傑のうち、満43歳という若さですが

木戸孝允旧邸・達磨堂

長州藩士の桂小五郎(かつらこごろう/維新の三傑のひとり)は、明治維新を迎え、36歳以降は木戸孝允(きどたかよし)と名乗っています。その木戸孝允が構えた京都の邸宅跡は今の京都市職員厚生会「職員会館かもがわ」の一帯。長州藩士で当時の京都府知事・

桂小五郎像

京都府京都市中京区一之船入町、ホテルオークラ京都の敷地内、北西側に立つのが、桂小五郎像。ホテルオークラ京都の建つ地は、長州藩京屋敷跡ということで、京都桂ライオンズクラブが結成30年を記念して平成7年3月21日に建立したもので、桂小五郎(木戸

桂小五郎・幾松寓居跡

桂小五郎(のちの木戸孝允)は、長州藩士時代、京の花街・三本木の芸妓・幾松と恋仲となり、幕末の動乱期にそのふたりが住んだのが長州藩控屋敷(現・京都市中京区上樵木町)。時に新撰組に追われながら苦難の時代を過ごしています。蛤御門の変のあとには新撰

 

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