富山県富山市の中心に位置する富山城。続日本100名城にも選定される富山城には立派な「天守」がそびえています。この天守、昭和29年に開催された『富山産業大博覧会』のシンボルタワーとして建設されたコンクリートの建物で、現在は富山市郷土博物館として機能しています。
そもそも、富山城に天守閣はあったのか?

問題は、富山城に天守閣があったのか、という点。
初代富山藩主・前田利次は、万治2年(1659年)、出身となる加賀藩との間で領地替を行ない、富山町を藩都とし富山城の築城に取り掛かります。
富山藩は、天守の建設を幕府に打診し、幕府は万治4年(1661年)に『築城許可書』には「天守土台石を置き天守を建て、土橋を除き掛橋を造り、櫓三所を建設し」(『前田氏家乗』)と記されていることから、天守の建築を許可されていることがわかります。
ところが、現存する富山城の各種絵図には、天守は描かれていません。
さらには天守を支える天守台の石垣なども見つかっていません。
絵図に描かれた石垣や土塁は現在の石垣などとほぼ一致するので、天守はなかったことが推測できるのです。
絵図を読み解くと、本丸南東隅(巽)の土塁屈曲部に、天守台としての盛り土を見ることができますが、石垣は構築されていないので、何らかの理由(藩の財政事情と推測できます)で天守の構築を断念したことがわかります。

富山復興のシンボルタワーとして誕生

ではなぜ、そもそもなかった天守があたかも「昭和の復興天守」のように建てられたのでしょうか。
終戦直前の昭和20年8月2日、富山市街は富山大空襲を受け、富山城址の東南が爆撃の中心地となったため、富山城も壊滅的な打撃を受けています。
さらに昭和22年10月、進駐軍が富山城内に専用ハウスを建設して居住するなど、富山市民にとっては屈辱的な状況が続きました。
昭和27年4月に、富山城址公園となりますが、富山市の復興をかけて開催された昭和29年の『富山産業大博覧会』でその中心地となったのです。
富山空襲で焼失した富山市庁舎の復興(『富山産業大博覧会』では一部を「国土の産業館」として利用)、全国に先駆けてシネマ・スコープ映写設備を備えた富山市公会堂(昭和31年6月11日オープン)、そして4階建ての天守閣が、富山復興の三大シンボルとして建設されたのです。
天守閣風の建物は『富山産業大博覧会』では、「美の殿堂」と富山県美術展覧会、加賀百万石展覧会、現代美術展覧会の三大展覧会を開催。
立山連峰の眺望も抜群で人気を集めたのです。
博覧会開催直後の、昭和29年11月17日に富山市郷土博物館と開館、現在に至っていますが、今では国の登録有形文化財にも指定の貴重な建築物となっています。
富山市公会堂は平成9年に老朽化で取り壊され、富山市役所の旧庁舎も平成2年に解体されているので、富山復興のシンボルとして残されたのは富山城天守閣の富山市郷土博物館のみということに。
富山城を訪れたなら、富山人の心意気を示した復興のシンボルとして、ぜひ富山市郷土博物館に入館し、富山市の歴史を学んでください。

| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(6)富山城|富山県 | |
| 名称 | 富山城/とやまじょう |
| 所在地 | 富山県富山市本丸1 |
| 電車・バスで | JR・あいの風とやま鉄道富山駅から徒歩10分 |
| ドライブで | 北陸自動車道富山ICから約4km |
| 駐車場 | 市営城址公園地下駐車場(108台/有料) |
| 問い合わせ | 富山市郷土博物館 TEL:076-432-7911/FAX:076-432-7911 |
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