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埴生護国八幡宮

埴生護国八幡宮

富山県小矢部市、社伝では養老2年(718年)、豊前国の宇佐八幡宮(宇佐八幡宮弥勒寺)から分霊を勧請して創建したと伝えられる古社が埴生護国八幡宮(はにゅうごこくはちまんぐう)。天平時代に越中の国守として赴任した大伴家持(おおとものやかもち)は国家安寧、五穀豊穣を祈願したと伝えられています。

木曾義仲が戦勝祈願をした社で、芭蕉も参拝

寿永2年(1183年)、木曾義仲が倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)の戦勝を祈願し、その結果「火牛の計」(かぎゅうのけい=400〜500頭の牛の角に松明をつけたと『源平盛衰記』に記載されていますが、信憑性には疑問符が付きます)で平家軍を破って以来、武田信玄、豊臣秀吉など武将たちの尊崇を集めました。
境内入口には、木曽義仲の騎馬像と木曽義仲軍が鳩の案内で得たという名水「鳩清水(はとしみず)」も湧いています。

現存する本殿は慶長5年(1600年)、前田利長(まえだとしなが)が大聖寺出陣の際に戦勝祈願をし、その大願成就で寄進したもの。
本殿、釣殿、幣拝殿の3棟は国の重要文化財。
社宝に義仲戦勝祈願書、武田信玄書状、豊臣秀吉の兜などがあります。

木曾義仲のファンだったという松尾芭蕉も、元禄2年7月15日(1689年8月29日)、『奥の細道』途中に参拝しています。
「快晴。高岡ヲ立、埴生八幡ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未ノ中刻金沢ニ着。」(『曾良旅日記』)と記され、この「埴生八幡ヲ拝ス」が埴生護国八幡宮のこと。
芭蕉と曾良が拝した本殿、釣殿、幣拝殿は、現存するものと同じです。

埴生護国八幡宮参拝後、芭蕉と曾良は北陸街道を西へ、木曽義仲が活躍した倶利伽羅峠で、越中から加賀へと国境を越えています。

埴生護国八幡宮
名称 埴生護国八幡宮/はにゅうごこくはちまんぐう
所在地 富山県小矢部市埴生2992
関連HP 埴生護国八幡宮公式ホームページ
電車・バスで あいの風とやま鉄道石動駅から徒歩25分。または、タクシーで5分
ドライブで 北陸自動車道小矢部ICから約4.5km
駐車場 10台/無料、倶利伽羅源平の郷埴生口駐車場(20台)も利用可能
問い合わせ 埴生護国八幡宮 TEL:0766-67-1220/FAX:0766-67-1220
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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