富山県砺波市ある中世の山城の跡が増山城(ますやまじょう)。砺波郡(となみぐん)・射水郡(いみずぐん)・婦負郡(ねいぐん)の3郡境にあった山城で、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)と並び越中三大山城のひとつ。国の史跡に指定されるほか、続日本100名城にも選定されています。
増山城解説ボランティア「曲輪の会」も活躍
南北朝時代の史料、『二宮円阿軍忠状』にすでに和田城として登場する城で、永禄3年(1560年)、富山城主・神保長職(じんぼうながもと)が長尾景虎(ながおかげとら=上杉謙信)から富山城を攻略された際には、この増山城に籠城しています。
落城することはありませんでしたが、永禄5年(1565年)、神保長職が上杉氏に降伏した以降は、増山城が神保氏の本拠地となっています。
神保氏配下の反上杉派の活動により、天正4年(1576年)、上杉謙信が増山城を攻略。
天正6年(1578年)の御館の乱では、上杉景勝方の吉江宗信が増山城を守備しています。
天正9年(1581年)、織田軍の攻撃で落城し、佐々成政(さっさなりまさ)が越中を平定後は、佐々成政配下の城とななっています。
慶長20年閏6月13日(1615年8月7日)、元和の一国一城令により廃城。
国道359号を車で走ると城跡(増山陣屋)まで誘導看板があるのでわかりやすく、増山陣屋に駐車し、和田川ダムを渡って冠木門の登山口から入城する仕組み(ただし、大手口がどこにあったのかは今も定かでありません)。
冠木門から二ノ丸(本丸)へは徒歩30分。
二の丸直下の又兵衛清水は、とやま名水百選に選定。
増山城解説ボランティア「曲輪の会」(事務局=砺波市埋蔵文化財センター内)があり、希望で城跡をガイドしてもらえる仕組み(解説希望日の2週間前までに申し込みが必要)。
冠木門→堀切→一ノ丸→二ノ丸→冠木門(1時間コース)、冠木門→堀切→E郭→一ノ丸→二ノ丸→馬洗池→御所山屋敷→伝神保夫人入水井戸→小判清水→冠木門(2時間コース)があります。
続日本100名城のスタンプは、「砺波市埋蔵文化財センター」に設置されています。
増山城 | |
名称 | 増山城/ますやまじょう |
所在地 | 富山県砺波市増山一の丸3324 |
関連HP | 砺波市公式ホームページ |
ドライブで | 北陸自動車道高岡砺波スマートIC |
駐車場 | 増山陣屋駐車場(25台/無料)を利用 |
問い合わせ | 砺波市教育委員会 TEL:0763-82-1918 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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