和歌浦の海岸に鎮座する神社。もともとは玉津島神社の祓所でしたが、大正6年に神社として独立。御神体は海岸洞窟の「輿の窟」(こしのいわや)に鎮座する鹽槌翁命(しおつつのおじのみこと)。安産・子授け、不老長寿・漁業豊穰・航海安全の神として尊崇されてきました。
かつては島だった鏡山の麓に鎮座
高野山の地主神である天野丹生明神(あまのにうみょうじん=現在の丹生都比賣神社)の神輿(みこし)が玉津島神社まで渡御する『浜降り神事』の際に、神輿が一晩置かれた聖地。
残念ながら、今ではその神事も途絶しています。
1825(文政8)年初演の人形浄瑠璃『三十三間堂棟由来』の「木遣り音頭の段」に「和歌の浦には名所がござる、一に権現、二に玉津嶋、三に下り松、四に鹽竃、ヨイヨイヨイトナ」と歌われるように古来から和歌浦の名勝の一つ。
権現というのは東照大権現(徳川家康の神号)で、現在の紀州東照宮、下り松は妹背山(和歌浦にあった6島のうち、唯一現在も島)にあった松で大正8年に枯れ死しています。
祭神の鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)は奥州など全国13ヶ所に製塩を伝えたといい、和歌浦でも大正時代まで製塩が行なわれていました。
四に鹽竃と歌われたのも製塩のことかもしれません。
御神体は海蝕洞の内部に安置
また、鹽槌翁尊は、『古事記』の「海幸彦・山幸彦」に塩椎神として登場。
兄に借りた釣り針を失くして兄の怒りにふれた山幸彦(火遠理命=ほおりのみこと)に、海神(綿津見神=わたつみのかみ)のもとに行くように教え、山幸彦は竜宮で海神の娘・豊玉姫(とよたまひめ)と出会い結婚、子宝に恵まれたことから安産・子授けの神として尊崇されています。
鹽竈神社では、安産の御祈祷が行なわれ、御札、御守りを授与。
腹帯(さらし、腹巻、コルセットタイプなど)を持参すれば、印を押してもらえます。
さらに、安産祈願の御腹帯(いわた帯のさらしと伸縮性タイプ)を授与。
もう1柱の祭神、祓戸大神四座(はらへどのおおかみよざ)は、瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)、速開都比売神(はやあきつひめのかみ)、速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)の四座で、穢を薙ぎ払うありがたい神々。
神社南側の小高い丘に、昭和27年に建立された万葉歌人・山部赤人の歌碑も立っています。
724(神亀元)年、聖武天皇の和歌浦行幸に随行した山部赤人が詠んだ和歌「若の浦 潮満来れば 潟(かた)をなみ 葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」(現代訳:若の浦に潮が満ちてくると、干潟がないので、葦辺をめざして鶴のむれが鳴き渡る)が刻まれています。
塩竈神社 | |
名称 | 塩竈神社/しおがまじんじゃ |
所在地 | 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-29 |
関連HP | 玉津島神社・鹽竈神社公式ホームページ |
ドライブで | 阪和自動車道海南東ICから約9km。または、和歌山ICから約10km |
駐車場 | 玉津島神社駐車場(50台/無料) |
問い合わせ | 玉津島神社 TEL:073-444-0472 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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