和歌浦に鎮座する玉津島神社。社伝では神功皇后(じんぐうこうごう)の紀伊進軍の際、玉津島神の加護を受けたことから分霊を勧請して創建したという古社。724(神亀元)年、聖武天皇の和歌浦行幸の際に、風光明媚な土地に創建を命じた詔を発しています。住吉大社、北野天満宮(あるいは柿本神社)と並び「和歌三神」に数えられています。
聖武天皇創建と伝わる古社
奈良時代の和歌浦は、まさに絶景の地でした。
現在は妹背山(いもせやま)だけが島となっていますが、万葉の時代には、玉津島六山(妹背山、鏡山、奠供山=てんぐやま、雲蓋山=うんかいさん、妙見山、船頭山)と呼ばれ、潮が引くと陸続きになり、満潮時には海に浮かぶ6島があったのです。
現在でも玉津島神社と周辺の90万平方メートルが国の名勝「和歌の浦」に指定されています。
聖武天皇はその絶景に感嘆して、明光浦(あかのうら)と名付け、景観保護を命じる詔を発しています。
その詔を発したとされるのが、玉津島神社背後の奠供山です(『紀伊続風土記』による)。
社殿から徒歩5分の山頂からは『万葉集』などに詠まれた和歌浦湾と片男波(かたおなみ)の美しい風景が広がります。
万葉歌人・山部赤人(やまべのあかひと)が詠んだ「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」は、この聖武天皇の行幸に随行して詠んだ歌。
小野小町も参拝して歌の上達を祈願
古代から中世にかけて、文人や皇族、武人に愛された和歌浦ですが、小野小町も参拝。
歌の上達を願う小野小町が参拝した際に、袖を掛けて和歌を詠んだという「小野小町袖掛けの塀」が残されています。
1585(天正13)年に紀州を平定した豊臣秀吉も参拝し、和歌浦から和歌山という名を付けています。
江戸時代には、和歌山藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が社殿を整備。
往時の社殿は現存していませんが、1655(承応4)年に徳川頼宣が寄進した灯籠が残されています。
ちなみに祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、衣通姫尊(そとおりひめ)とすべて女神。
玉津島明神が、玉津島神社祭神の一柱「衣通姫尊(そとおりひめのみこと)」で、かつては玉津島明神とも呼ばれていました。
衣通姫は第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で、才色兼備の女性で、和歌の名手。
その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来で、小野小町、藤原道綱母と並び「本朝三美人」の一人とも。
和歌の上達や、学問成就にご利益があります。
玉津島神社 | |
名称 | 玉津島神社/たまつしまじんじゃ |
所在地 | 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26 |
関連HP | 和歌山市観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 阪和自動車道海南東ICから約9km。または、和歌山ICから約10km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 玉津島神社 TEL:073-444-0472/FAX:073-444-5816 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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