和歌山城・天守二の門

総楠(そうくすのき)造りであったため楠門と称される天守曲輪の入口。本瓦葺きの楼門。1846(弘化3)年の落雷で天守群とともに焼失しましたが1850(嘉永3)年に再建。戦前は国宝だったが、和歌山大空襲で焼失。昭和33年に楠などを使って再建され、内部は天守の観覧通路の一部になっています。

天守曲輪の入口を守る門

本丸曲輪外側からの眺め
石段を上った内側の様子

戦災で焼失した天守曲輪で唯一、木造で復元された部分で、往時の雰囲気を偲ぶことができます(天守などは鉄筋コンクリート構造による外観復元)。
天守二の門前に観覧券発売所があり、この門からが有料エリアとなります。

往時には3層の大天守から時計回りに多聞、天守二の門(二之御門=楠門)、二の門櫓(二之御門櫓)、多聞、乾櫓、多聞、御台所、小天守へと続く連立式天守があり、現在の本丸の建物は昭和33年の再建。

和歌山城・天守二の門
名称和歌山城・天守二の門/わかやまじょう・てんしゅにのもん
所在地和歌山県和歌山市一番丁3
関連HP和歌山城公式ホームページ
電車・バスでJR和歌山駅から和歌山バス和歌山港方面行きで6分、公園前下車すぐ
ドライブで阪和自動車道和歌山ICから約5km
駐車場和歌山城不明門駐車場(70台/有料)・和歌山市中央駐車場(577台/有料)
問い合わせ和歌山城整備企画課 TEL:073-435-1044
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和歌山城

和歌山市の中心部、紀ノ川河口の虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)に建つ平山城。もとは1585(天正13)年、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・秀長のために藤堂高虎(とうどうたかとら

 

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