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金剛峯寺・本坊

金剛峯寺・本坊

世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』にも登録される和歌山県高野町の高野山金剛峯寺。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素のひとつになっています。金剛峯寺の山号が高野山で、まさに信仰の中心ですが、そのまた中心となるのが主殿(本坊)。壇上伽藍の東北に位置するのが総本山金剛峯寺で、現存する本坊は文久3年(1863年)の再建。

江戸時代までの青厳寺本坊で、「豊臣秀次自刃の間」もある!

左が大玄関、右側が小玄関

本坊は、東西54m、南北63mの壮大な書院造建築で、和歌山県の文化財に指定されています。
正面右側が天皇、皇族や高野山重職だけが出入りを許された大玄関で、金剛峯寺の表玄関で中門にあたります。
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の上にある天水桶は、いざというときの防火用水です。

本坊には延宝8年(1680年)制作の本尊・弘法大師座像を祀る持仏間、儀式・法要が執り行なわれる大広間、狩野探幽の襖絵の配される梅の間、文禄4年(1595年)に豊臣秀次が切腹した柳の間(「秀次自刃の間」)などがあります。
高野山真言宗官長兼金剛峯寺座主の住まいもこの本坊です。

高野山は明治2年まで学侶・行人・聖の3派に分かれていましたが、神仏分離・廃仏毀釈の嵐の中で青厳寺(学侶方の寺務をつとめた中心寺院)と興山寺(行人方の役寺)が合併して総本山金剛峯寺となりました(同時に全国の真言宗寺院を統括する管長職が置かれています)。
実は、高野山では長年、学侶方と行人方の対立が続いており、事実上は、興山寺が廃寺となり、青厳寺が金剛峯寺となって、廃仏毀釈の荒波を乗り越えています。

青厳寺は、文禄2年(1593年)、豊臣秀吉が母親(大政所=天瑞院)の菩提のために建てた剃髪寺が前身で、秀吉の死後、学侶方寺となったもの。

明治5年の火事で興山寺は全焼しますが、青厳寺は類焼を免れました。
万延元年(1860年)の大火で焼失後再建された青厳寺主殿が現在の金剛峯寺主殿。
側らの鐘楼も同じで往時には青厳寺鐘楼でした。

金剛峯寺・本坊 DATA

名称 金剛峯寺・本坊/こんごうぶじ・ほんぼう
所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山132
関連HP 金剛峯寺公式ホームページ
電車・バスで 南海高野線高野山駅から南海りんかんバス奥の院前行きで11分、千手院橋下車
ドライブで 京奈和自動車道紀北かつらぎICから約23km
駐車場 金剛峯寺前駐車場(39台)・金剛峯寺第2駐車場(72台)/無料
問い合わせ 金剛峯寺 TEL:0736-56-2011/FAX:0736-56-4640
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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