和歌山城・追廻門

和歌山城の大手門の反対側、搦手側(からめてがわ=裏側)から砂の丸に入る門。門を出て、道を隔てた反対側に馬術を練習する追廻(おいまわし)があったことが名の由来になっています。1619(元和5)年、和歌山藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入城する際に築かれた門のひとつです。

藩主の御殿があった二の丸の鬼門封じで朱色に!?

徳川頼宣は和歌山城に入城する際に、城郭の拡大を図り、砂の丸、南の丸を城内に取り込んだために、追廻門が築かれました。
岡口門と同様に、空襲からも焼け残り、往時の姿を今に伝える貴重な遺構となっています。

藩主の居住した二の丸御座の間の南西、陰陽道の裏鬼門にあたるため除災のために朱色に塗られたと推測されています。

柱に本瓦葺の屋根をのせた美しい高麗門で、左右に櫓がないのが特徴。
屋根がコンパクトなのは、城の内側から外側がよく見えるような配慮から。

幕末の追廻門を『紀伊国名所図会』で読み解く

紀伊国名所図会「追廻口辺往来の図」
紀伊国名所図会「扇の芝」

『紀伊国名所図会』の「追廻口辺往来の図」に、門前の賑わいぶりが描かれています。
門を出ると、扇の芝。
『紀伊国名所図会』の「扇の芝」には、武術の練習に励む藩士の姿が描かれています。
「春雨の降ごとにみどりの色まさりてさながら青地の紙を張れりともいふべく、うらうらと和暖なる日近きあたりの童部ども招くとなしに寄合ひ菓子屯食等をとり出て野遊びのまねす」

和歌山城・追廻門
名称和歌山城・追廻門/わかやまじょう・おいまわしもん
所在地和歌山県和歌山市一番丁3
関連HP和歌山城公式ホームページ
電車・バスでJR和歌山駅から和歌山バス和歌山港方面行きで6分、公園前下車すぐ
ドライブで阪和自動車道和歌山ICから約5km
駐車場和歌山城不明門駐車場(70台/有料)・和歌山市中央駐車場(577台/有料)
問い合わせ和歌山城整備企画課 TEL:073-435-1044/FAX:073-426-3905
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和歌山城

和歌山市の中心部、紀ノ川河口の虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)に建つ平山城。もとは1585(天正13)年、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・秀長のために藤堂高虎(とうどうたかとら

 

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