世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産である丹生都比売神社の鎮座する和歌山県かつらぎ町の標高450m内外の盆地が天野の里。弘仁7年(816年)、丹生都比売神社の祭神に導かれて高野山を開いたと伝わる空海は曼荼羅院を建立しています。高野山が大火の際には、ここに僧侶が避難し暮らすなど、高野山と縁が深い聖地になっています。
西行法師の妻と娘も出家して天野の里で暮らした!
高野山は女人禁制だったため、出家して高野山に入った人とはこの天野の里で分かれるという女人哀話の里としても知られています。
丹生都比売神社境内と、尾根筋を通る高野山の表参道・高野山町石道が世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっています。
西行が出家し、高野山に暮らして後、康治元年(1142年)、その妻も尼僧となり、この天野の里に庵を建てて移り住んでいます。
西行妻娘宝篋印塔(さいぎょうさいしほうきょういんとう)が残されています。
現存する西行堂は昭和61年の再建です。
埼玉県飯能市にある子の権現(ねのごんげん)は縁起によれば、祀られる子の権現はこの天野の里で、天長9年(832年)、阿字長者(あじちょうじゃ)の子として、子の年、子の月、子の日、子の刻に誕生したのだとか。
延命寺境内に子の権現生誕地の石碑が立っています。
白洲正子が「桃源郷」と形容した天野の里
随筆家・白洲正子は、著書『かくれ里』の中で天野の里に関して、
「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに『天野』の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原(たかまがはら)も、こういう地形のところをいったのかも知れない」。
と記しています。
「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」
「できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」と、手放しで絶賛しています。
「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに『天野』の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原(たかまがはら)も、こういう地形のところをいったのかも知れない」。
と記しています。
「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」
「できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」と、手放しで絶賛しています。
天野の里 | |
名称 | 天野の里/あまののさと |
所在地 | 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野 |
関連HP | かつらぎ町公式ホームページ |
電車・バスで | JR妙寺駅からタクシーで25分 |
ドライブで | 京阪奈自動車道かつらぎ西ICから約12km |
駐車場 | 天野の里物産販売所駐車場など |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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