和歌山県東牟婁郡太地町、熊野灘の中でも絶景の地のひとつが、燈明崎(とうみょうざき)。沖行く船に場所を知らせる灯明台が寛永13年(1636年)に設置されたのが名の由来の岬で、日本で最初に鯨油を使った行燈式(あんどんしき)の燈明台が設置された場所。江戸時代には鯨を見つける山見(狼煙場)も置かれていました。
古式捕鯨における指揮所、山見も置かれた岬
燈明崎は、当初は室崎(牟漏崎=むろざき)と呼ばれていましたが、その後は太地崎となり、寛永13年(1636年)、鯨油を利用した燈明灯台が設置されたことで、燈明崎となりました。
灯明台には新宮藩から派遣された士分(武士の身分)が常駐し、沖行く船の安全を守ったのです。
灯明台は明治5年に廃止され、南の梶取崎に梶取埼灯台が明治32年に初点灯していますが、燈明崎には灯明台が復元され往時を偲ぶことができます。
山見というのは、古式捕鯨における指揮所で、燈明崎と梶取崎の突端の2ヶ所に設置されていました。
沖に鯨を発見したり、見張り船から鯨発見の信号をうけた場合、20mほど背後にあった支度部屋の山檀那(やまだんな)に知らせ、その命令を受け、沖の船団へ捕鯨方法を的確に伝達するのも山見の役割でした。
また鯨を発見したことを高塚連絡所を経由して太海浦に知らせる狼煙場(のろしば)や、山檀那が控えた古式捕鯨支度部屋跡(明治38年廃止)もあり、太地町に伝わる古式捕鯨の貴重な遺構。
燈明崎山見台跡は、梶取崎狼煙場跡、古式捕鯨高塚連絡所跡などとともに日本遺産「鯨とともに生きる」の構成文化財になっています。
太地町立くじらの博物館には、古式捕鯨の様子がダイナミックに再現されているので、あわせて見学を。
燈明崎 | |
名称 | 燈明崎/とうみょうざき |
所在地 | 和歌山県東牟婁郡太地町太地 |
関連HP | 太地町観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 阪和自動車道南紀田辺ICから約90km |
駐車場 | あり/無料 |
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